過保護ほど自己中なことはない

・愛があるから相手を世話する
・大切だと思うから、なんでもやってあげたい

これは一見すると、自分のことより相手のことを優先できる大人な行動に見える。
でも行動の元になっている考えは大人なんだろうか?

→相手に自分の必要性を感じてもらうために世話をしている。
→なんでもやってあげるやさしい自分に酔える。

自分の足下が揺らいでいるから、相手に尽くすことをもって、外殻的に自分を繕おうとする行為のように思う。

どんな人であっても、[自分のことは自分でする]が原則だ。

便宜上役割分担が進んでいて、お金を稼ぐ役割、家の中を快適にする役割と分かれているだけだ。
この意味は、稼いでいない側が稼がなくてよい権利を有しているというものではなく、今現在は稼いでいない状態あるという程度のこと。
いざとなったら、稼ぐ必要は出てくるし、その義務を放棄できない。

しかし家庭に入った女性は、”家族の世話を絶対に自分がしなくてはならない”と硬直的に考える。そしてよき妻とは、夫を家庭の煩わしさから完全に解放することだと思っている。
しかし先例と同様、稼いでいる夫もまた、家事や育児をしなくていい権利など有していない。
従って、臨機応変に家事をする義務があるのだ。

世の中に完璧などない。
従って、徹頭徹尾相手(夫、子供)のこと世話する必要などない。
にも関わらず、過保護の究極を目指そうとする妻…。

相手を堕落させるのは簡単である。
相手に何もさせなければいいのだから。
でも、それって相手のことを愛しているのではない。
自分の欲を押しつけているのだ。
だから過保護はいい家族を作らない。

どの人も社会に出て行く。
そのとき、周りは常時自分を過保護してくれるだろうか?
子供や夫の過保護的なあたりまえを尊重し、妻同様の振る舞いをしてくれるだろうか?

答えはNOだ。
だとしたらなおさら、過保護とは、社会不適合者を加速的に形成するおぞましい行為である。

ある人のいい行為と悪い行為を見分けるのは、自己犠牲の多寡ではない。
なにがその行為の起点か?だ。