話しやすい人・話しにくい人

初対面でも2回目でも、話がしやすい人はしやすいし、しにくい人はしにくい。
今までは「フィーリング」とかいう魔法の言葉で済ませていたけど、もうちっと考えてみることにする。

話やすい人というのは、話題を振ってくれたり、こちらの得意そうなことをつっついてくれる人だ。

私からすると相手のことがよく分からなくても、相手が話す内容を導いてくれているのだから、それに素直に従っていればよいのである。
脳の省エネ、つまり楽をさせてもらって、話ができる。

話しにくい人というのは、自分語りや自分の価値観の押しつけをする、さらには無反応な人だ。
私が相手の興味を一生懸命想像しながらついていかねばならず、下手をすると会話がなく「シーン」としてしまうので、必死で相手の興味を引くべく、話題提供に走らねばならない。
会話を楽しむ余裕もなく、気の張り詰めた接待みたいだ。

話しやすい人というのは、話をするときに相手が詰まりやすいこと・気まずくなりそうなことを察知して事前に避け、相手の走りやすい舗装道路を引いてやることが当たり前に出来る。
私という人間に十分に敬意を払い、注意深く観察している。
つまり私に向いて心を開いているオープンハートだ。

一方で話にくい人というのは、常に自分しか見ていない。
自分が興味があるか、自分が楽しいか、自分が話したくないか、自分がわからないか、といった基準で決まる。
一緒にいる相手は、「ん?私要らなくね?」と思い、トーンが沈む。
私という人間はことごとく無視され、透明扱いされる。
つまり私に背を向けているクローズハートだ。

どんな人でも認められたいと思ってその場にいる。
にも関わらず無視や同調を強制されたらどう思うだろう?

最近ある人に言われた。
「私は貴方に興味があります」と。
それも2度。
いいことじゃないかと思うなかれ。
こっちとしては、「で、どーした?」なのだ。
これは唐突に「私、ガンダムが好きなんです」と言っているのと質的に変わらない。
「もっと話を聞きたいので、お茶しませんか?」ならこちらがどうすればいいかの舗装道路が引かれているので分かる。
しかし、他人の好きを強調されてもねぇ…。

たった一言であっても、その人がどのような心の持ち主かを感じるには十分なのだ。
一言が重なり合って、印象につながる。
だから話しやすい人はいつまでも話しやすいのである。