若かりし頃の自分を見返すと、すいぶんと話があちこちへと飛んでいた。
女子同士の集まりだと、それは当たり前の光景で、気にしたことはなかった。
それが男性の集まり(私は工学部)に混じると、けっこう指摘された。
そこから気をつけていたけれど、なかなか治らない。
だが、自分をモニタリングすることで、少しずつではあるが、話が飛ぶことも少なくなった。
話が飛ぶ人の頭の中
話が飛ぶ人は、普段満足行くほど会話できていない。
相手がいないのだ。
よって、珍しく誰かと話す機会を得ると、溜め込んだ思いをドバーっと出す。
頭の中は、話ながらその話に引っ張られて次の話が浮かぶの繰り返し。
話題は連想ゲームのように連なっていて、論理的には飛躍があったとしても、自分では納得はいってる。
ところが、聞かされてる側は、どうしてその話に変わるのか分からなくて、さきほどの話との接点を探ろうとする。
これは結構な負担。
よって繰り返されるいちに頭がパンクして、「脈絡なく話を飛ばすの止めてくんない?」と牽制に出る。
言われたこちらも、微妙にイラっとして、「なんでつながりがわかんねーんだよ」となる。
話が一貫する人の頭の中
話に筋にある人は、心の充足と会話の量は比例しない。
一人でいても平気だし、誰とも話さなくても、話したいという気持ちに囚われない。
言葉は誰かに意志を伝える手段であり、手段を有効に使うことが無駄がなくてよい、と考える。
聞いてる側は省エネで理解できるので、聞いていて苦にならない。
むしろ理路整然とした話しぶりは好感が持てる。
各々の目的が違う
なぜ話し方にこんな違いが生まれるのか、というと目的が異なるからだ。
話の飛ぶ人は、とにかくしゃべってしゃべって、「私」をアピールしよう、「私」を感心されようと必死だ。
だから止めどもなく言葉が出る。
「私をみてー」「注目してー」「ほめてー」「かまってー」「必要としてー」
それに比べて、話に筋のある人は、既に自己が確立しているので、ただ黙然とその場にいる。
目的のために言葉を使って情報を拾い、人を動かす。
承認欲求を満たす目的、と、人を動かす目的。
目指す方向が違う。
それだけじゃない、向いてる人も違う。
自分か相手か。
自分のために自分へ向くという自己中心性と目的のために相手に向く理性的態度。
理解を得られやすいのは、やっぱり後者の方か。
話が飛ぶのを止めさせる?
だとしても私は話しが飛ぶ人が無理矢理筋の通った話ができるようになる必要はないと思う。
飛ぶには飛ぶなりの、本人しか分からないメリットがある。
そこをまず理解して、そこから、「じゃあ、どうなりたいの?」という問いへの答えを見つけて、「何が話を次々生む理由なのか」を探して、納得すればその理由を手放す、という手順を踏んだ方がいいんじゃないか。
強引に事を進めれば、必ずしっぺ返しを食らう。
たとえ自分にとって嫌だなと思う行為でも、それに真剣に向き合うこと。
それが行為を消失させる方法だ。