カウンセリングって必要な食事をするようなもん

私はさんざんカウンセリング(心理療法を含む)を受けた。
時には費用の高さに懐疑的になったり、結果が出なくて悲観した。
けれども時間が経って、カウンセリングと友達への相談の何が違うかって考えると、やはり何かは違う。掲示板や相談サイトに悩み事を載せて、答えを募集することとも違う。
その違いについて、食に置き換えて考える。

空腹だと人はどうするか。

食べ物を口に入れようとする。
最良の解決法は、必要な栄養を含んだ食事を口に運ぶことだが、必要な栄養を判断する力がなければどうするか?食べ物が獲得できなければどうするか?

1.手当たり次第にジャンクフードを口に入れる.
2.空腹じゃないと自分を騙す
3.周りも空腹なんだからと我慢する
4.忙殺されてれば空腹なんて忘れるさと言わんがばかりに意識を別方向へ向ける

このような代替え的方法で解決を図ろうとする。
一瞬ならば、この方法が有効な時もあろう。しかし必要な栄養が欠乏していることには変わりないのであるから、やはり「満足しない」「腹へった」に戻るのである。

心の仕組みも同様だ。
「認めて欲しい」「愛して欲しい」(承認)が不足するとどうするか。
最良の解決方法は、自分の望む承認を受け取ることだが、何を承認して欲しいのかを判断する力がなければどうするか?承認そのものの獲得が難しければどうするか?

1.手当たり次第に人に会って承認を求める。
2.心の弱い自分を叱責する。
3.社会は厳しいんだと言い聞かせる。
4.趣味や仕事に没頭して忘れる。

この1~4の解決法って、友達に相談したときに得られる回答である。
1.は「自分から誘いなよ」「人付き合いすればいいじゃん」「恋人作れば?」「婚活すれば?」
2.は「甘えだよ」
3.は「悩みのない人なんていない。みんなそんなもん」
4.は「暇だからそんなこと思うの。もっと○○をやればいいじゃん」

一過的にこの方法が有効な時もあろう。しかし必要な承認が欠乏していることには変わりないのであるから、寂しさに襲われた夜に「認めて欲しい」「愛して欲しい」と戻るのである。

優秀なカウンセラーは、クライアントに対し上記のような短絡的解決をしない。
その人が何を求めているのか、それはどのように補填すれば最も効率的に内面に根付くのかプランニングし、ゆっくりと承認を満たす作業をする。

カウンセリングは専門的な知識はもちろんのこと、なによりも人に対する造詣が深いことが求められる。
一般人はそのような技術と観察力がないから、どれだけ話し相手になったとしても、相手を治癒させることは難しい。

カウンセリングは作業でいえば話すだけなので、いまいち治療という感じがしないけれど、やはりそこには練られた戦略というものが存在する。
ただ、知識(資格とか学歴)はともかく人に対する造詣は外部から見えないので、門を叩くのに躊躇する気持ちも分かる。

日本に優秀なカウンセラーがたくさんいて、食事をするように心に栄養を補給する手段としてカウンセリングが普及すればいいのにね。
私がネットの奥の世界から世間を見ていても、栄養の欠乏ぶりはなかなかなもんです。
そのまま放置していても、生産性は下がりモラルは低下するばかり。
どぅしたもんやら…。