「よしよし、どうしたの?」と言わない

聞き役にさせられてしまう人って、ちょっとした相手の変化を敏感に感じて気に掛けてしまうんだと思います。

ちょっと相手が落ち込んでいたら、「どうかしたの?」、暗い表情なら「何かあった?」。

もぅ心配性の母親かっ?!くらいの勢いで相手の事細かい変化をキャッチするんです。

それって、小さいときから母親のお守りをしてきた子供にみられる特徴。
自分を大切にすることより、母親や他人を大切にすることの方が板に付いちゃってるんですね。

でも本人だって聞いて欲しいこともあるし、愚痴りたいこともある。
不思議なことに、”いつも聞いてあげてるから聞いてくれるだろう”と相手に心の内を明かすと、スルーされることが多いんです。
”アンタは私の愚痴聞き要員”とばかりに、こちらの言葉には見向きもしない。
そんなことされたら内心ショックですね。…ですが、これが聞き役に徹したサガなんです。

ということは、脱聞き役になりましょう。
脱聞き役といっても、受身の聞き役オサラバというだけで積極的な聞き役は降りませんよ。
受身の聞き役というのは、壁よかマシの話相手なんです。だから相手はこちらを人として尊重することも好意を寄せることもない。
一方積極的な聞き役というのは、自分を理解してくれる・いい方向に導いてくれる唯一無二の存在ですから、相手はこちらを尊重せざるを得ない。だってこちらに嫌われたら唯一無二の存在を失うことになるのですから。

世の中は十把一絡げに”聞き役”を理解していますが、パッシブとアクティブの両方のリスニングが存在するのです。
聞いてくれる人というのは、有り難い存在です。がしかし、聞き方に希少性がなければある日別の人にその役はとって変わられます。
たぶんアクティブリスニングが何か分からない人は、一旦聞き役を降りて、友達がいなくなっても話し相手が皆無になっても構わないから、独りという状態を身体で感じることです。

なぜならアクティブリスニングは孤独を知らない人にはできないから。
自分の価値観に縛られている間は、人の話に積極的に乗る、促すといったことはできません。