偉そうにふんぞりかえった自分との対決
「KOMAさん、偉そうだよ。」
「上から目線だね。」
そう言われる度凹んだ。
話しても、話しても、伝わらない。
かといって、聞き役ばかりも疲れる。
アタシ、どうすればいいんだろう???
葛藤から始まる反省
この状態に陥った当初、消えてなくなりたかった。
普通に話しているのに偉そうに取られ、黙っていれば愚痴のゴミ箱にさせられ、自分が存在する意味を見いだせずにいた。
私はこれしか、コミュニケーション方法を知らない。
でも、この方法は間違ってる。
そこで一から自分の方法を見直してみた。
すると、ある一つの考えにたどり着いた。
私が知りたくて手に入れたものは、相手の興味の外だと。
それをわきまえずに延々話し続けるから、理解の得られない私はどんどん焦って、「私の手に入れたものはこんなに希少なんだからね」と上から目線になっていってた。
自分の興味や驚きを推したって、無駄なんだ・・・。
自分の価値観を追求すれば、どうしたって、周りとの溝が出来る。
だったらいっそ、自分の価値観を外してみては?と思い始めた。
自分の価値観を外して見えてきたもの
ずっと配偶者に苦しめられてきた。
苦しみの原因は、配偶者が受身であること。受身であることがたたって、私が命の危険に瀕したこともある。
相手を押しても、引いても、どうにもならない。プロの手を借りても、なにも変わらない。
不動の石の如く、その場に居続ける受身姿勢。
配偶者から逃げたい、とにかく逃げたい。それが願いだった。
しかし、いろいろな要素がそれを阻み、願いはそう簡単に叶いそうにない。
苦しみ抜いた私は、自分の価値観を見直すことにした。
なぜ、配偶者は受身なのか。
そのとき浮かんだのが「私が偉そう」
私が偉そうに、「普通はね、これくらいするもんだよ」と押しつけることで、相手は萎縮していた。
男性は責められると、貝のように口を閉ざし、守りの姿勢に入る。
どうやら今までのやり方が、相手をより受身へ追いやっていたらしい。
かといって、完全に引いて辛抱強く相手が出るのを待つだけか?
これをしていたら、相手が相手だけに10年くらいあっという間に過ぎないか?
これも善い策とは言えないなぁ。
悩みまくっていたときに、あなたの話はなぜ「通じない」のか (ちくま文庫)
という書籍に出会った。先日紹介した山田ズーニー氏が2006年に書いた本だ。
そこに相手の側から見える世界を理解する方法が、さまざまな例を交えて書いてあった。
中でも、「根本思想」と名付けた「その人を発言に向かわせている想い」に関する記述に、心が震えるほど感動した。私は一度でも、相手の根本思想を探ろうとしたことがあっただろうか?と。
結局配偶者の考えを何一つ知ろうとせず、私の理想の人を演じよ!と押しつけるから、上手くいかないんだ、と徐々に考えを改め始めた。
そして、傲慢になる自分を諌めるために編み出したのが
【相手は小さな仏様】
という考え。
ともすると、相手を思い通りに動かそう、しゃべらせようとする私を、わきまえさせるためのくびき。
あえて「小さな」とつけた。
ホンモノの仏様ほど天井の存在ではなく、身近に、でも尊厳を持った存在として、という意味を込めた。
これからの展望
人の話を聞かない、人の話の中に答えがあることに気づいていなかった、愚かな自分。
そんな自分が、話の中に種を見つけ、水をやり、育てていくかのように、話をふくらませていくことが出来れば、もっと広い世界のいろいろな人達と心を通わせることができる。
親から人の話を聞き、人を信じることを教わらなかった私でも、学んで、辛抱強く実践していれば、相手と通じ合うことができると証明してみたい。アダルトチルドレンが人生を立て直せることを、自らの経験を通して見てみたい。
不幸な生まれを不幸なままにしないために、偉そうな自分からゆっくり飛び立っていこうと思う。