カウンセラーは問題を解決する手段ではない

具体的な例を挙げて解を求める人がカウンセリングに訪れるときがある。

イジメを受けているけど、どうしたらいいか?
友達が出来ないけど、どこを直したらいいのか?
子育てがうまくいかないけど、問題はどこか?

これの解(具体的な手段)を求めても、おそらく無駄です。

なぜならカウンセリングとは、足りないものを得る場所ではなくて、足りない物を自ら補う方法に気付く場所だから。

アドバイスも、具体的に「こうしましょう」というのは稀で、かなり抽象的なことを言われると思います。
それを持ち帰って、次回カウンセリングまでに自分の体験と照らし合わせることで、自ら解を導く手法を編み出してもらうことが狙いです。

生涯面倒を見てくれるカウンセラーはいません。
どこかで弱い心をしなやかに成長させ、羽ばたいていくことがクライアント全員に義務づけられている。
いや、むしろそうしなくては、カウンセラー依存のクライアントを生み、新たなクライアントを助けるに十分な時間を割くことができなくなります。

カウンセリングは高価だけど、金儲けであってはならないと思います。
必要なときに必要な手当をするから、それに見合った金銭をもらうだけ。
いつまでも同じ人から金銭をもらうようでは、治療ではありません。
場合によって、「これ以上できることはないから、他のカウンセラーに移動した方がよい」ということもあってよいと思います。

得てしてカウンセラーもクライアントと同様心の傷を深く負った経験者が多く、クライアントの自由を阻害して、自らの承認欲求の追求に走ることがあります(一言で表すとプライドが高い)。
本来このようなことがあってはなりませんが、理想と現実は違うので、大なり小なり起こりえることです。
米国の臨床現場でも、やはり不適切なカウンセラーというのがいて、餌食になっているクライアントが症状を悪化させるということがあるそうです。

結局クライアントとしては、注意深くカウンセラーの力量を推し量るしかないのですが、もし安易に答えを求めて、それを出さないカウンセラーだからNGと判断するなら、それはもったいない。
本当に助けてくれるカウンセラーは、安直な小手先の解など出したりはしないのです。

確かに金銭的負担ので見込みのないカウンセラーのところに2度も3度も通うのは懐が痛いでしょうが、もしこのカウンセラーが違うんじゃ?と思ったときは、迷わず気になる点を紙に書き出してみることです。
その結果カウンセラーのエゴが見えるようであれば、即刻辞めればいい。
でも希望にガッチリ適合していないけど、クライアントの方を向いていると思うなら、もう一度くらい行ってみるといいと思います。