頼りがいのある男性が減った感のある昨今、結婚する意味はもはや「子をもうけること」「経済的基盤を盤石なものにすること」の2点に集約してきてる気がする。
結婚しても、結局家事が増え、世話する相手が増え、煩わしい人間関係が増えるとあらば、尻込みする女性がいたとて、不思議ではない。
女性が好きになる相手とは、イザという時に頼りになり、小さな変化にも気付いてくれる、他者に対して機敏なアンテナを持った相手だ。
ところが、男性はどちらかというと1つのことに集中し深掘りするので、女性の小さな変化や求めていることに気がつかない。
相手が生きているか死んでいるかは分かるけど、体調が悪そうだとか余裕がなさそうだということにたいして、絶妙な手助けを出来る人はごく僅かだろう。
その僅かを狙って女性同士の熾烈な争いが起き、それ以外の男性にはお鉢が回ってこない。これが学生時代のピラミッド構造だったと思う。
しかし社会に出れば女性も、もっと広く浅く男性を見るようになり、私にピッタリの人はこの人!と、熾烈争いから離脱し個々に家庭を持つようになる。
けれどもやはり家庭の中で起こるいざこざに鈍感な男性は気付くことなく放置するので、小さな苛立ちが積もりに積もって、子供に「あんな人と結婚するんじゃないわよ」と吹き込むのである。
そうやって育った少女は大人になって稼げるようになると、母が辿ってきたのと同じく僅かな男性の巡っての争いに参戦するだろう。
しかし悲しいかな勝者は僅か、やはり自分もあぶれる。
そこでもし、結婚に対す社会的観念が変わっていたとしたらどうだろう?
”なにも納得しない男性と結婚する必要なんて無い。子供が欲しけりゃ精子バンクがある。仕事だって十分していける。ようは覚悟だけよ。ほら、周りを見渡せば人工授精によって我が子を手にしたシングルマザーがここにも、あそこにも”
となれば、好きでもない男性を選ぶよりも、覚悟を持って生きたい道を選ぶ女性が増えるのではないだろうか。
SFで描かれるこの世界、実はそう遠くないんじゃないかと思ってしまうのです。
これだけ頼りない男性に振り回され、好きになれずに悩む女性がいるのならば。
頼りないからといって、男性に”変われ”と言っても無駄。
特に男性は命令されるのも嫌いならば、自分の生き方を否定されるのも大嫌い。
男尊女卑の概念があるならなおさら、「女性が偉そうなことを!」と憤慨する可能性もあり。
だったらそんな男性の犠牲になることなんてないんじゃないかと思うのです。
フェミニスト的に「女性はえらいんだ~」と声高に叫ぶ気はさらさらありませんが、他者に気を配れない・思いやりのない男性のせいで悲しむ女性が大勢いることを鑑みると、もぅ自分の意志で人生を選んだ方が幸せじゃないか?と思うのです。
経済力とDNAが手に入れば、もはや男性は要らないのかもしれないですね。
(まるでカマキリのようです)