「意味」を与え続けられなければ結婚は継続しない

結婚当初ラブラブだったカップルが数年して離婚するということがあります。
特段家庭内で事件があったとかではなく、じわじわと互いの価値観の差が露わになって、最後には「合わない」で決裂してしまう…といった結果だと思われます。

人は誰しも自分の存在している意味を確かめたくなる。その最たる方法が結婚なのだと思います。
「あなたが好きだ」「あなたのためなら」「あなたさえいれば」といった言葉に込められるメッセージは”あなたの存在意義を世界で一番認めているのはこの私”ということではないだろうか。
そんなすてきなメッセージがもらえるから、”この人から離れちゃいけない。”と相手もまた私のことを想い続ける。

しかし結婚という事実を作ってしまうと、途端に相手を認めることを手抜きする人がいます。
恋人時代はあれほどイベントに精を出していたのに、あれだけ優しい言葉を掛けてくれたのに、そんなものは露と消え、目の前にただただ生活という名の作業が残る。
そこに愕然とする人々。

後押しするように、性別に関係なく仕事を得られるようになった現代、存在意義を与えてくれない相手と一緒にいる意味など無い、と元の独身の世界に足を踏み入れる人々がいたとしてもなんら不思議ではない。
だって、そこに二人を結びつける接着剤がないのだから。

お金や社会的地位、世間の目、子供の有無が接着剤となる時代は終焉を迎えたのだと思います。
人がホンキで嫌だと思えば、もはやそれまで。
相手を思いやった愛情は最後の一欠片が無くなったら、そこでもう終わり。
だからこそ、相手が傍にいるときに相手のことを思いやり、相手の望む物を知ろうと努めなければならないのです。

人と人の間の引力は自動的に発生するわけじゃない。
どこかで意識的に発生させないとね。
世の中の離婚の仕組みが徐々に自分でも納得できるようになってきました。