分からないことが何よりも優先される人

配偶者Sをよく観察してみると、「分からないこと」が何よりも優先されていることが分かる。

誰しも、誘うこと・告白すること・(病気等を)克服すること・計画を立てること・心情を読み取ることが初めての時がある。
そのときに、少しばかりひるんで、でも「やろう」という意志でなんとかその場をくぐり抜ける。

でも、分からないことに対しどぅしたらよいかに頭を使わない人がいる。

全てのことは、なるようになるさ と。

大概のことは放置。
死なない程度の快適さがあればOK。
欲もないが、向上心もない。
愛すこともないが、愛されることも望まない。

それよりもなによりも、「分からないこと」をどうにかするに己の頭を使うことの方が、七面倒くさい。
相手が病気になってもどうしていいか分からないから知らんぷり。
震災で混乱の最中におかれてもどうしていいか分からないから放置。
人生設計なんにもないから、年老いても老後の住みかさえない。

こういう人ってエネルギー低いし、強い要望ださないから最初接するには便利っちゃー便利なんです。
こちらの言うことがほぼ通るになるから。
でも、のれんに腕押しで、生きてるのか死んでるのか、意志があるのか希望があるのか、全然分からない。
正体不明のXです。

本当のところ、自分の中で全て完結しちゃってるんです。
自分としては、相手が病気になっても困らない・震災で被爆しても構わない・家がなくても心配ない。
だから敢えて何かに取り組んで、解を出そうとしない。

これって、家族要らない人じゃないでしょうか?
一人で生きて、一人で死ぬ、がぴったり。
他者との絡みなど、不必要だと思うのです。

だれでも初めてのことは不安だし、間違えること、困惑することが多い。そういう負を請け負ってもなお、目の前の人を幸せにしたいと思うことが「愛」だと思うのです。
「目の前の人はご勝手に」は、相手に対して「無」です。

愛なき人は、家族なんて作っちゃいけないと思います。
相手からどんなに愛情を注がれても、ざるのように抜けていって、感謝も有り難みもなーんも感じないんですから。
正直とっても疲れます。冷たい人というのは、なにも相手をズタズタにする人だけじゃない。静かに、…でも確実に「無」の世界へ引きずり込む人も含まれるんです。