「比較」の間違った使い方

隣の家と自分家を比べて、学歴や年収に不満を抱く。
合コンで、Aちゃんはモテて自分は相手にもされないことに落ち込む。

こうやって、比べて、比べて、悔しぃ~とハンカチの端を噛む人、くだらないなぁ~と思う。

比較するというのは、人間に与えられた能力の一つで、自分の置かれている立場を相対的に見るのに役立つ。
自分を客観視することで、問題点が見えてくる。

問題点は、その時点では「困ったこと」にカテゴライズされるかもしれないが、そのカテゴリーは絶対的ではなく、やり方次第で「気にならないこと」「優れていること」に変えることができる。
ただし、そのような変化を生み出せる人は、困ったことの何が困っているのか、何によって困ったことになっているのか、といった分析をきちんとしている。
問題を問題のままにしないから、欠点は欠点でなくなる。

比較して、ひがみっぽくなったり、落ち込んだりする人というのは、例外なく問題を問題のまま放置する人である。
愚痴を百回言ったところで、事態はぴくりとも変わらない。
それより学歴がないなら、学歴を身につける。年収がないなら、副業する。合コンでモテないなら、自分がモテそうな場所を探す方が1年後ハッピーになれるのではなかろうか?ちなみに最も有効な手段は、比較によりうらやましいと思う心を捨てることである。

比較の使い方を間違えてる人が多くいるように感じる。
もったいない。
比較とは人間を落ち込ませるために存在するのではない。
もっと冷静に自分を見ることだ。

そして物事には長所と短所が必ず存在することに気づくべきだ。
タンクレストイレはスッキリとして長所ばっちりじゃーん、と思ったけど、震災のとき風呂場の水を使って流すことすら出来なかったでしょ。
そーいうもんなんです。