「謝る」の本質

―なにか間違えたことをしてしまった―
―誰かに迷惑をかけてしまった―

そんな時、人は「ごめんなさい」と言う。
これを世間一般では、「謝った」と評する。
けど、ホントだろうか?

例えばある人のミスで、自分の財布から10万円が無くなったとする。

「ごめんなさい」といわれた貴方は、相手を許せるだろうか?
私なら許せない。
最低失われた金額は補償されるのが当然だと思うし、それだけでは気が済まないと思う。
なぜってそこには、10万円失ったショックという精神的苦痛がついているから。

きっと私は思うだろう。
”なんで私の財布からお金を抜き取る?”
”なんで私が財布を預けても信用できると思っていた信頼を裏切る?”
”なんで己の私利私欲のために、私が迷惑を被ることを考えない?”
・・・と。

要するに私がそれまで築いてきたもの、信じてきたものをボロかすに床に叩きつけられたのが許せないのだ。
”私のことを大切にして扱って欲しい、尊重して欲しい。”
これは誰もが抱く自尊心だ。
それを台無しにされたとき、心の底からふつふつと怒りが沸く。

謝るというのは、その怒りに真剣に向き合って、怒りを生んだことに謝罪する・怒りが消えるまで徹底的に付き合うということだと思う。
ということは、ただ「ごめんなさい」と口にしただけでは、到底相手の怒りに向き合ったとは言えず、むしろ簡易的に謝罪面したに過ぎない。

このことを知らない人は、「謝ったから、もう終わり」と早々に自分の中で赦されたと勘違いし、相手の怒りに火を注ぐことになるのだ。
謝罪は一日にして成らずと思う。

犯してしまった問題の大小によるだろうが、謝ることの本質を知って対処することは、対人関係にプラスに働くことは、ほぼ間違いない。
自分のせいで予期せぬ事故が起こってしまうこともあるのだから、謝罪に対しては日頃から真剣に考えていた方がよいと言えよう。