相手の心に効く謝り方

誠心誠意謝ったつもりが、余計に怒らせてしまったという経験はないだろうか?
どうやったら気持ちが伝わるのか?許されるのか、を考えてみたい。

自分の経験から紐解く

たとえば買った商品が不良品だった場合、お客様センターに電話して状況を伝えると、「この度は弊社の商品の不良によりご迷惑をお掛けしてしまい、誠に申し訳ございませんでした」と言われたとしよう。
特別なにかの感情が湧くわけでもなく、素直に商品交換の手順に進むだろう。

ところが、買った商品がパソコンで、10時間セットアップ作業をした後不具合が発覚してお客様センターに電話したときに同じ態度を取られたとしたらどうだろう?素直に商品交換へとは移れないはずだ。
なぜなら、”10時間も無駄にしてしまった”とか”入力した個人情報はどうなるんだ?”とか、さまざまな思いが頭をよぎるからだ。
その思いを一つ一つ消化してからしか、次の行動へ気持ちが向かない。

対応の如何で話の進む速度は変わる

優れたオペレータなら、それを見越して、”既に多大なお時間を割いていただいたにもかかわらず、このような事態を招いてしまい、深くお詫びします”であるとか、”お客様がご不安な点をお聞かせ願えますか?”といった先回りの心配りをする。
お客は思いをきっちりと受け取られ、すっきりと消化できたので、なんのわだかまりもなく、次の行動へと気持ちが向く。

だが、残念なことにほとんどのオペレーターは目の前の事に強くとらわれており、”1秒でも早くこのトラブルを解決しなければ”という気持ちが強いので、パソコンに不具合があった以上のことを観ようとしない。
結果として、10分で終わる商品交換作業が、”オレの気持ち分かってるの?”というクレームに始まり1時間を要することになる。

何に謝るかは観ている範囲で決まる。

・目の前に提示されたパソコンが壊れた、という事象だけを観るのか
・パソコンが壊れたことによりお客様が無駄にした事を観るのか
・パソコンを使うの楽しみにしていたお客様の心を観るのか
・パソコンによって近々でやる作業のことを観るのか
・パソコンでやるはずだった作業によってメリットを受け取る第三者のことまで観るのか
どこで観るかは、観る側の視野の広がりに依る。

広い範囲と狭い範囲のどちらも瞬時に観ることのできる人なら、言葉をヒントに相手の感情に添った観るべき対象を選び、そこに謝罪の言葉を添えて謝ることができる。反対に狭い範囲しか観る習慣のない人は、ただただ「すいません」としか言えない。

元々怒りというのは実体がなく、心に湧いた”分かってくれない”という気持ちのぶつけどころがないときに生まれる感情だ。
ぶつけどころさえ用意しておけば、あっという間に溶けてなくなる。
そのことを知っていれば、許して欲しい側は精魂込めてぶつけられ処の役割を果たせばよい。

謝るとは何か?

謝るとは、本来生まれる必要の無かった負の感情を収めるための儀式である。

儀式は決まり事を一つ一つこなしていくことで、終了する。
この場合の決まり事とは、怒りが湧き、怒りがぶつけられ、ぶつけられ処が役割を果たすことを指す。
ぶつけられ処が、適切な役割を演じたとき、儀式はすみやかに終了する。

一連の流れにおいてのキーマンはいうまでもなくぶつけられ処だ。
あなたがもし、このぶつけられ処のようにすみやかに事を運びたいと願うなら、何よりも先に視野を広げること。
そうすることで、本当の謝罪が完遂する。