そっか!褒めるんじゃなく、横をいくんだ☆

以前から、分かっているようで完全にはわかってなかったことがある。
それは人と人をつなぐもと、「相手を認める」ということ。

平均的な環境を経た人々は、「相手を認める」スキルについて学んだことがない。

せいぜい、相手を褒めましょう 程度だ。

ところが誰もが経験のあるであろう、「私はそぅ思っていないけど、相手が真っ向から私の感じ方を否定して褒めてくる」時、その褒めを心地よいものとして受け取ることができない。
むしろ、褒められた後、”おべっかつかってねぇか?”、”心にも無いこと言ってぇ~”と疑心に囚われる。

つまり、相手から見ると賞賛に値するポイントであっても、本人の感覚と拮抗するならば、人をつなぐキッカケにはなりえないということ。

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どうもこりゃ簡単に褒めればいいってもんでもないらしい。

そこで境界性人格障害者に治療に使われるDBT(弁証法的認証法)の認証戦略と呼ばれる方法の採用を考える。
しかし、またここで壁にぶつかる。
認証戦略の肝-本人の「在る・居る」を認めて、そこを賞賛していきましょう-とは何をすることなのか?

・・・ずいぶんと長い間考えてみたが、本意が掴めそうで掴めない。
ところが考え続けた甲斐あって、やっと私に分かる概念に落ちた。

それは、相手の価値観の線の横に自分の価値観をおいて滑らせてみて、そこから見える景色を理解して相手の心を語ること。

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それも、相手と離れすぎない程度の距離感を持って。 

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もし私がそれを実現できたなら、相手は自らと同じ方向を見てくれる私を自分以上に自分らしく感じることができ、私をずっと心の底から求めていた理解者だと見なして、強く親近感を抱くことだろう。

一度抱いた親近感は、そう簡単に壊れることもないので、そこから先多少意見が違おうが、相手は”手に入れた理解者を手放したくない”ために私の価値に寄り添おうとしてくる。
そうすれば、いづれか一方だけが自分を殺して付き合うといった窮屈感を持たずに、お付き合いができる。

人とつながりたければ、まず、ひたすらに相手の価値観がどこにあるのかを探ること。
そして、相手も意識していなかった価値観を、相手の代わりに言葉に出して見ること。

すぐにひょいと出来るものではないけれど、気をつけていれば徐々に出来るようになる。
相手をみることなくして、私が見られることはない。
相手の価値観を探ることが、最優先事項だ。