親に認めてもらいたい子供

みのもんたさんの次男の窃盗事件についてIFFの木附千晶さんの見解に興味を持ちました。
結論だけいうと、「みのさんは子供をずっと支配してきた」のだそーです。

父親が有名人なだけに子供は親を超えたくても超えられなかった。

自由になりたい、尊重された、大切にされたい、けどそれが叶わなかった。
だから学生時代に窃盗をした。
みのさんの息子ということは、お金には困っていなかったはずです。
なぜ万引きしたか、他人の財布を盗んだか、そこには支配から脱却したい強い願いが込められていたに違いありません。

本来なら次男は支配からの脱却するために親には頼らずに独立すればよかったのですが、なまじっか過保護に育てられただけに、試練をしょってまでの勇気は持てなかった。
次男の心の中は、独立できない自分への苛立ちと、いつまでも父に愛され大切にされた感のない渇望感、そして父を超えたいという欲が渦巻いていたことでしょう。

きっとこの問題を解決するには、被害者に謝ることもそうですが、なによりも次男を追い詰めた親子の関係の見直すことではないでしょうか。
みのさんが子供の心に寄り添い、子供の心を受け止めていく。
みのさんは、「成人した子供のことなので、関せず」という姿勢でいます。
けれどさんざん支配して、心を見捨てておいて、ピンチの時もまた捨てるはあまりに酷い。
親子の真価は、こういうときに問われるのです。
愛することが心を創る。みのさんは我が子にどんな心を創ってやりたいのでしょう?

さて、ここからまた話題は変わって、散財する人のファッション特集をやってて、これもまた心の問題と関係しているようなので取り上げます。
そこそこの年収を稼げるのに、オシャレにお金を掛けすぎている人について、①個性的な自分を目指している⇒なのに似たようなコーディネート②ネットなどでなんとなく買い③手持ちのアイテムとの相性を考えずに購入④サイズ間違い⑤マネキンのトータル買い といった特徴があるという。
この事実が一体なにを物語っているのか。

ファッションというのは承認欲求を満たすツール。
オシャレのイケてる自分というのは、自分からみても相手から見ても惚れられやすい。
承認欲求の度合いが高ければ高いほど、見た目に投資する割合が高く、さらに見た目を良くするための期間を短くしたがる。
実際勉強でもなんでも、ある程度労力を投下しないとモノにならない。
ところが、承認欲求が強ければ、コツコツと労力を投下して育てるなんて悠長なことをいう余裕がない。
そこで、第一印象だけで全てを決めてしまい、結局のところ損をするという仕組みなのだ。

つまりファッションで失敗したくなければ、まずファッションだけで承認欲求を満たそうとすることを辞め、どんな自分であっても受け入れられる力強さを身につけることだ。
それを身につけない限り、あのアイテムを手に入れても、こっちのアイテムも手に入れたくなる・・・が際限なく続き、モノであふれかえるもパッとしない人生を歩みそうだ。

さて、次はそこそこの様相なのにモテない男性についての話題。
会話していて、面白くないなーと思う相手はこちらの話に一切耳を傾けず自分のことだけ話続けたり、受身で全く話をする気がなさそうだったり、はたまた人と人の距離感がつかめずビックリするような質問をしてきたりする人。
何故こーいう出会い会話事故みたいなことになるかといえば、その相手はこちらをそもそも「人」として理解していないから。
たぶん反応するロボットくらいにしか思ってない。
だからこっちにも心があって、思考があってというところがぶっとんで、自分がよければ全てよしみたいな態度に出てしまっている。
これからおそらくこの手の人がさらに増えるのではないだろうかと危惧している。

一見すると全く関係ない話を3つしてきました。
しかしこの3つには共通する考えが流れています。
どれも自分を含めた「人」に対する観念、思考を誤っているということ。
人とはどんな心の流れを持っていて、どんなことで喜び自分に自信をもつのか、という人間に対する造詣が全くないのです。

人の心を人が救い、人の心を人が温め、人の心を人が育む。
こういう基本中の基本が出来ていれば、極端になにかに偏るということはそもそも起こりえないのです。
まだ上手く表現しきれないけど、やっぱりどの場合も中央に置いた箱にガンガン言葉を捨てているように感じます。

-受けて返す-ということの難しさを感じます。

長く生きても、これだけ多くの人が地球上に存在していても、まだまだ人に対して、その像を真に捉えている人々は極端に少ないのですね。