好かれる順位

人は皆平等です と言いながら、自分の中で好きな人、何も感じない人、会うのも億劫な人がいる。
この順位は何によって決まるのかをちぃと考えてみよう。

人が寄りたくなるのは、なにかしらんその人の傍に行くとメリットを感じられるから。

分かりやすいところだと、お金持ちとかおごり魔。
では目に見えない世界でいうと、私の心を幸せにしてくれる人。
例えば私が迷っているとき一緒に考えてくれる人や私の存在を心から認めてくれる人。

人が積極的に寄ろうと思わないのは、その人の傍に行ってもメリットもデメリットも感じられないから。
暇つぶしの相手にはいいと思うが、それ以上にはならない。

人が寄りたがらないのは、その人の傍にいくと搾取されるデメリットがあるから。
自慢話を聞かされる、自分を立てろと要求する、モノや金を取られる、となれば避けたくなるのは当然。

すなわち、分け与える度合いが大きいほど人を寄せ付ける力が大きいということ。
分け与えるものは、目に見えるものでも見えないものでもいい。
「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉があるが、それに対抗して「心の切れ目が縁の切れ目」もあると思う。
昔性格が良くて一緒に居るのが楽しくて仕方なかった仲間も時を経て自分と相容れない価値観を持ちだしたら時間を共有しなくなることはザラにあるのだから。

私は彫金を習っていて、その教室に行くたび気持ちが重かったのは、一見すると人柄のいい先生が実は3番目のタイプだったから。
「オレの作品は認められて当然なのに・・・」的な話をさんざん聞かされたのが結構堪えた。
暗に「オレを褒めろ」と気持ちを搾取されているように感じて・・・。

私は心というものをさんざん考えて、一部は自分の中で可視化できるほど明確に捉えられるようになってきた。そして今、自分の苦しみの根源をちょっとずつ見つけることができてきた。
世の中の道理が見え始めた。
自分の過去を振り返って粗雑な扱いを受けてきたことの理由も分かってきた。
小さく納得しながら、気づいたことを土台に自分を変化させていきたい。