してあげているつもりがあげていないになっていることに気がつこう

「あんなに○○してあげたじゃない」のセリフに隠された想い。

尽くす人間というのは相手を大切にしているつもりが多いが、その実自分へのリターンや自分がよい人間だとうぬぼれるために相手を使っている。


そぅいう人は何かと細部まで心を配り、自己を犠牲にする。
されている側は頼んでもいないのにどんどん尽くされるものだからウンザリする。
そのウンザリの正体は、尽くすの裏に隠された想いが見えるから。

純粋に何かをするときは、ある意味人は熱中し楽しそうである。
ところが尽くす側の人間は、表情のどこかに恨めしや~並の欲が渦巻く。
その欲は何処までも深く、井戸の底までも深く這いつくばっているので、欲の対象とされている人は怖くておぞましくてたまらない。
私もそのような人にあったら、途中でひょえーっと逃げ出してしまいそうだ。

差し上げるという心のポジションを確保することは難しい。
最低でも精神的自立が要求され、さらには慈愛という境地まで達観せねばならぬのだから。

そんな人いる?

ってなことで、あげてると思っているのは大概何かを期待しているってことなのですから、いっそあげるのをお辞めになった方がいい。
辞めて数年経つと自分が如何に欲深かったかが分かる。
「私があげるのを辞めたら、私は周りから忘れられるじゃない!」と思う人は、それで結構。自分は人を魅了する力が無いんだと諦めて認めればいいだけ。
一人で立てない人が他者に尽くすなんてムリムリ。
無理に尽くしても、ただの怨念ホラーにしかなりませんから。