物事の光と影

2夜連続で放送された「オリンピックの身代金」。
描きたかったのはオリンピックに沸く人々の裏で、過酷な労働を強いられている人々がいるという事実。
華やかな祭典の裏に、多くの人の犠牲がある。

ここから我々が学ばなければならないことは、光りが存在するということは同時に影が存在するということ。
光りが光りとして華々しくあればあるほど、影の底深さも深いということ。

普段私たちは光りの方ばかりをみる癖が付いている。

「○○会社躍進!市場発の営業利益を出す」みたいな紙面に、「ほぉ、○○会社すごいなぁ」と思うのが常である。
しかし、お金の総量が決まっているのだから、○○会社の営業利益があがったということは、市場のどこかの益が下がったと言うことであり、もっといえば○○会社の下請けが買いたたかれた可能性だってある。
ただ光りの方をみて「よかったよかった」と言っているのは、世の中の真実を見据えていない人の言い分だ。

これは何も自分の外でだけ起こりうることではない。
自分の中で絶好調だーと喜んでいたら、大事なものを見落としていて後々後悔なんてよくある話。
トントン拍子に人生が進んでいったとしたら、その拍子が止まったとき挫折に対処できない自分が如実になる。
自分が光りに満ちているときでも、忘れずに影を見ることで、傲慢な心を抑制できる。

私たちは、世の中の影、自分の中の影を注意深く気づく責任があるように思う。
その影を見捨てず拾うことで、世の中の厳しさを我の中に感じるのだ。
すべてがお花畑なんてことは、ありえない。
その厳しい現実に思いを寄せながら、一日一日を生きていく使命を全員が背負っている。