伝わっていないこと、覚えられていないことへの不満

人は自分が都合の良いように状況を解釈する。
だから一度伝えたことは、永久に伝わってるもんだと錯覚する。

例えば「プレゼント送るわ」といわれて「ウキッ♪」とした直後に、「じゃあ、住所教えて」と言われると、”えー、引っ越し葉書出したやん(イラッ)”と思いつつ、「○○町××番地ね」と答えるのである。

住所を伝えた方は一度伝えたことを十分伝わっていると解釈し、伝えられた方は一度くらいじゃわかんないと思っているのだ。

全員が全員、杉下右京並みの記憶力をもってはいない。

なんかそーぃう互いの意識ギャップによって、日常の中で小さな不満がたまるよーな気がする。
・私は、相手のこと大事な人と思ってたけど、相手はそこまで思ってなかった
・貸したと思ってるのに、返してくれない

私たちはついつい、自分の思い通りに他者が認識してくれるもんだと期待している。
でも実際そぅじゃない。
そのギャップを如何に埋めるか、それもまた対話の一種なのかな。

自分の考えてることは人とぜーんぜん違う。
これは肝に銘じるに値するちょー大事なこと。

追記
上記のことに絡めて
贈り物をしたけど相手から返事がないという不満について。

送り主がお礼を期待するのが誤りと言いますが、それは違う。

送り主は手から離れた品の行方を知ることはできない。
受け手が「届きました」とひと言いうのは、最低の礼儀。
むしろひと言もなく、送り主には届いたと分かるハズと考える方が想像力欠如してる。
受け手の考えてることは、送り主とぜーんぜん違いますから。