察しない努力

自分を第三者的に見ると、頼まれもしないことをよくもまぁホイホイやってのけるもんだと、呆れる。
なんか、ぜーんぶ自分でやんなきゃいけない使命感をしょってるみたい。

例えば

相手が風邪っぽかったら、薬を出して来て水を用意してアタリマエ
例えば
○○どこにあったっけ?と相手が話しかけてきたら、○○をさっと出す。

この事自体は気の利くいい人というイメージになるかもしれないが、一方で他人から見た私は手下のようによく動くヤツだという印象になる。
そのうち他人は私の察することに慣れてきて、ちょっと察っし方が悪いと、不満を抱くようになる。
私の行動は相手を傲慢な人へと導いている。

よって、私は敢えて他人の意図を察しても動かないようにする。
そうすることで、相手は私に頼まなければならないことを知る。
頼むということは、言ってみれば自分を下げることでもあるから、それなりに心的ストレスがかかる。
でもストレスが掛かることで、後々お願い事が承諾されたときや達成されたときに有り難みが増す。

なんでもただで差し上げますはよろしくありません。
ちゃんと[ 下さい⇒上げます⇒お返しを渡します ] という流れを作って、私がやることには価値があるのだと他人に印象づけることが大事だ。

それにしても、ほいほいとまぁよく自分の身体は動くこと。
ちょっとこの動きを左手で制さなくてはなりませんなぁ。
自ら動かない、これはアダルトチルドレンに限っては大事な訓練だと思う。