私が私に対して疑問に思うこと

私はどちらかというと、舐められやすい性格なのだと思う。
お見合いもどきであった人に「前の彼女が忘れられない。一番好きだった」と言われ、私に猛烈にアプローチしてきた10歳上の人に「本当は○○さんの奥さんと結婚したかった」と言われ、仕事で関連ある人には、好き勝手な依頼をされ行き詰まって辞めた。でも、都度反論せずに笑って過ごしてきた。

本当は内心怒っていたのに。
”私はオマエらの感情や欲望の吐き出し口じゃねー”と。

なんで私は相手の内側として扱われやすいんだろう?何を言ってもいいと思われるんだろう?
それが私が私に対して疑問に思うこと。

母が愚痴をずっと私に言ってきた。

私はそれを聞くしかなかった。
その生活が私に反論せずに相手の話を聞く姿勢を身につけさせた。
そして我を殺すことも。
そうやって、自身をおろそかにする人間に対し、他者は狡猾なまでにそれを利用する。
ちょっとちょっかい出して、嫌がらなかったら、反撃を食らわなかったら、「こいつ利用できる」って。

そーいえば、10代の頃はオジサンと呼ばれる連中にかわいがられた。
それだって、反論せずに聞いてくれ、見た目も若い私が彼らにとって都合が良かったからだろう。
誰一人、私を「個」として尊重してくれる者はいなかった。

怒りを表すというのは、文句をがぁーっと立て板に水のように話すことではない。
それよりちょっとでも相手を馬鹿にするような言葉を言ったら最後、自分が締め上げられる恐怖を味わわせることである。
自分が墓穴を掘ったら自分が墓に入る、と一度でも感じたら、人は私の前で下手なことを言わない。

そのような強い自分になるために、私自身が私のセルフイメージを価値ある存在として理解し扱うこと。
私が私を最上級に大切に扱うことで、他者も私をそーいう存在なのだなと理解する。
おごり高ぶれといってるんじゃない、大切にしろといっている。
両者を混同して道を踏み誤らないよう慎重を期しながら、私を大切する意識へとシフトしていきたい。