自信のない者ほど、自分がちょっとでも優位だと偉そうに振る舞う

私が過去にしまったなぁ~と後悔していることがあります。
配偶者Sと婚姻届を出した直後、同じ年の友人に「結婚はいいよ。誰か候補紹介しようか?」と言ってしまったこと。

私は図にのっていました。

当時明確に「結婚した方が人として偉い!」と意識していたわけではありませんが、なんとなく結婚することがいいことのように思えて、相手によかれと思って手をさしのべたつもりでした。

でも今考えると、どんだけ図々しいんだと、顔から火が出ます。

人の存在に優劣はありません。
なのに、結婚した=優れている、結婚しない=劣っている・かわいそう というランク付けをしていた。
それも、相手が今すぐどうにかなるカードを持ち合わせていないことを知った上で、上から目線でお情けを掛けようとしたのです。

なぜ、そんな卑劣なやり方を取ったのでしょう。

それは、自信がなかったからです。
自分を信じられないから、人に優劣を付けて、自分より下と勝手に思い込んだ人間を蔑んで、”私は、まだマシな方”と自身を慰めていたのです。
アホです、アホ。私。

意外とこのような愚かな行為、日常にあふれています。
おばさま達の井戸端会議はどちらかというと、こういう行為が中心となっているのではないでしょうか?
年収・学歴・結婚の有無・子供の有無・子供の頭の良さ・子供の運動神経・持ち家か借家かなど、ウワサ好きにはたまらないネタです。
ネタがこれだけあれば、どれか一つぐらい人より秀でているものもありましょう。
そこにスポットを当てて、わざと「あなたのところの○○、どうなの?」と探りを入れ、自分が勝っていると思ったら、手助けをするふりをして内心バカにする攻撃を仕掛ける。

一見すると完璧なように見えて心に劣等感を持つタイプが一番この手をよく使います。

これは、見て見ぬふりをしている相手に現実を突きつけて立ち直らせるとは訳が違う。
狡猾さをバックに、自分の優位さを確かめたいだけ。

私は過去の反省も含めて、このような人を見ると、妙に冷たい目線を送ってしまいます。
”そんなもん比べたって、誰も幸せにならない。”
”そんな救済もどきをしたって、誰も救われない。”
と思っています。

本当の優しさは、困っている当人が立ち上がれる手助けをすること。
安易に答えを与えることでも、間違った答えを押しつけることでもない。
だいたい本人が容易に解決できないことを、第三者がさらっと解決出来るなんて思い込む方がおこがましい。
「考える・省みる」という行為を本人から奪わないことです。
地に足を付けて問題を解決できるのは、本人以外ありえないのですから。