要らぬ自己主張

最近インテリアに興味があって、ネット上でいろいろ見て回っている。
そこで気が付いたのは、買ったままの容器からわざわざ中身をシンプルな容器に入れ替えている人がいるってこと。

確かに、キッチンハイターとかマジックリン、JOYなどパッケージがまさにそれ!みたいなものが多い。
ひとつならまだしも、何個かが並ぶと、目がチカチカしてしまう。

そこで上級者は、見えない場所に仕舞うか、はたまた見えても構わないパッケージに入れ替えるか、をやってる。

で、これ、人間にも当てはまるんじゃないかな~と思った。

一人一人は製品のパッケージのように、自分なりのカラーというものを持っている。
一人きりならば、そのカラーも周りの人に認識してもらうのに役立つであろう。
しかし、会社という組織や人の集合体に入れば、その人のカラーはいらぬ自己主張として疎まれる。
むしろ、シンプルなパッケージのごとく、ほかを邪魔しない、かといって、うずもれない程度の洗練さをもった様態が望まれる。

だから組織で出る杭は打たれるし、率直な意見をバシバシ述べる人は煙たがられる。

意見を持つことはいいことだし、アイデアを出すことは素晴らしい。
しかし、想いをそのままズバッと出すことは、完全なる自分カラーをそのままバンッと机に叩き付けることある。
印象、いや自己主張が強すぎる。
本当に意見を通したいならば、シンプルで誰もが受け入れやすい形に整えなければならない。

では、自己主張とシンプルの差は何か。
それは己の強さである。
弱き者ほど、自分が受け入れられない不安に打ち勝てず語気を強め、我を張る。
強き者は、自分が受け入れられると信じているので、穏やかにかつ芯の強さを持って対峙するのである。

芯の強さはシンプルに通じる。
大事なことは削ってはならない。
でも大事なことがわかっていなければ、芯を通すことができない。
強き者ほど、本当に肝心なことを見極める賢者の目を持つ。
それを周囲も認知しているから、いずれ一目置くようになる。

自己主張というのは、己の弱さを隠す鎧である。
その鎧は、弱い自分を強くはしてくれない。
だから、我を張る自分がいることに気づいたら、よくよく自分を顧みることだ。
何が自分にそこまでの主張をさせようと駆り立てるのか。

私、私、私。
私を知る。それを自己主張を消す第一歩としたい。
私は、どうしてこんなに弱いのだろう。