美人がトクか損か、中野信子と近藤春菜が見落としている視点

2018年11月27日のテレビ番組「踊る!さんま御殿」で脳科学者の中野信子氏とお笑い芸人の近藤春菜氏が「美人はトクか損か」の激論を交わしていました。

ちょうど見てて ”ネットで炎上しそうなだな~”と思っていたら、案の定大盛り上がり。私も春菜ちゃんに一票を投じたいところですが、かといって中野先生の言い分も分からなくはありません。

はたしてどっちが正しいのでしょうか?

双方の主張は?

中野先生は「美人は周りから『性格が悪い』だの『結婚しない』だの『子供を作らない』だのといった攻撃を受けやすく、正当に能力を評価されないから、損」と言うのに対し、春菜ちゃんは「容姿で採用されるなんて最高。おごってもらえるし、物も買ってもらえる」と、お互い譲らず。

中野先生の主張の元は、1979年に行われたコロンビア大学ビジネススクールの調査結果です。それによると

「外見の良さは女性が高給の事務職として雇用される場合には有利に働くが、管理職として雇用される場合には不利になる」。またこれに続く研究で「美しい女性はコミュニケ-ション能力を必要とされる職種では高く評価されるが、それ以外の場、たとえば決断力を必要とし、強いプレッシャーの掛かってくる中、高い指導力を発揮して南極を切り抜けていくといった場面では低評価となる」ということが明らかにされている。
引用 女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ(中野 信子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

そして次のように結論づけました。

「女性が組織のコアメンバーとして出世していくためには、できるだけ自分を『女性の魅力に乏しく』『男性的に」見せる必要がある』」
引用 女性の容姿への「残酷な心理実験」の結果が示す社会のひずみ(中野 信子) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

これを踏まえた上で「実力を正当に評価されるのは、判断に影響を与える要素を持たない者」だから、見た目で余計な先入観を引き込む美人は損と結論に至りました。けれども春菜ちゃんが気にしているのは、実力より「人として受け入れてもらえること」。美人というだけで、受け入れてもらえて、いい思いもできる。絶対におトク!と。

たしかにブスが受け入れられるには、ぼーっとしているだけではダメで、笑かしたり、気の利いたことをしたり、なしかしらんの頑張りがいるので、素のままwelcomeされる美人とは、努力という点で大きな開きがあります。welcomeされたことのない者(ブス)にとっては、存在自体が受け入れられるという経験は雲の上のようなことで、それを損と決めつけるのは同意しがたいことなのでしょう。

持つ者と持たざる者の隔たり

中野先生にとって受け入れられることは当たり前で、その先の正当な評価を得るためにどうしたらいいかが関心の的なのに対し、春菜ちゃんにとって受け入れられることそのものがなかなかのハードルで、その先のことなど考える余裕もない。もし、それを悩める立場にあるのであれば、それこそ贅沢の極み、といったところでしょう。

たとえるなら、マリーアントワネットが平民に対して「食べるものがなければケーキでもたべておけばいい」と言ったかのよう。まったくもって相手の実態を分かっていない。このように持つ者と持たざる者の間には、大きな意識の隔たりが存在しているのです。

いつの時代もブスの置かれている状況は過酷です。クラスの男子に「あっちいけ」と追い払われ、コンパでは透明人間のように扱われ、美人だけがちやほやされるのを黙って見ていなければなりません。自分という存在の不必要さをひしひしと感じる瞬間、どんな強靱なハートの持ち主も、心が粉々に砕け散ることでしょう。

自らの存在を否定されるとき、肉体の痛みを感じる脳の部位が活性化すると聞いたことがあります。ブスは人前に立つだけで、痛い思いをする。その痛さを感じたことのない美人に対して「きっちり痛みを感じてから物を言え!」、というのがブスの正直なる気持ちではないでしょうか。

中野先生の主張に欠けていた視点

ただ中野先生の主張にも一理あるように思います。「自分が受け入れられるか」という情緒を排して、合理的判断に迫られる場面では、美人であることは余計な思惑を引き込むとため邪魔になります。交渉のような冷徹さを求められる場面では、情緒的な隙を与えてしまう要素は極力排除した方が有利です。そういう意味では美人も時と場合によっては、マイナス要因にも働くことがあります。

ですから、今回の議論を場面ごとに場合分けすれば、一応の決着を見ることができたのではないかと思います。視聴者の多くは、合理的な場面よりも日常生活を思い浮かべて、美人がトクか損かを考えてしまったため、中野先生の敗色が濃くなりました。

と同時に社会は持たざる者の味方であり、頭もよく容姿に恵まれ、最愛の人と結婚し、社会的経済的地位もある中野先生の主張では、どうしても強者の戯れ言とされてしまいがちです。それを避けるためにも、聞く相手が如何なる人員で構成されてるのかを見極めた上で、話す内容を選択するというもう一段上のアプローチをすべきであったと思います。

中野先生を責めるのは簡単ですが、我々もまた、自分の持つモノには無関心で、持たざる者に心ない言葉を浴びせて知らんぷりをしています。意識しないまま人を傷つけるというのは、このような持たざる者への想像力のなさから起こっているのではないでしょうか。

テレビ番組のほんの一幕でしたが、人間の高慢さを考えさせられる場面でもあったと思います。