「寂しいから」と言って結婚を望んだとしても

年を重ねてから結婚を望む人の中に「寂しいから」を理由として挙げる人がいる。
世の中に寂しくない人なんていない。
一人だと心細いこともあるし、判断に迷って相談したくなるときもある。もちろん頼りたくなることも。

しかし、「寂しい」を結婚する理由の筆頭に置いて、結婚を目指すことは幸せな未来を生むことだろうか?

試しに、こんな想像をしてみるといい。

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寂しいと互いに嘆く人が出会いました。
Aさん「寂しいね」
Bさん「あぁ、寂しいね」
Aさん「誰かに出会って、この寂しさを埋めたいね」
Bさん「ほんと、そうだね」
AさんもBさんも、どうやったら寂しさを埋められるか必死で考えます。
目の前に人がいるのに、その人は目に入らない。
自分の寂しさを埋めてくれる、愛を与えてくれる存在をひたすら待ちます。

さて、そんなAさんとBさんの前にCさんがやってきました。
Cさんは心優しく、「そうか、AさんもBさんも寂しいんだね。かわいそうに。」と同情しました。
AさんとBさんは喜んで、Cさんから目を掛けてもらおうとします。

その後、Aさん、Bさんは互いに動向を探りながら、なんとかCさんに自分が選ばれようと努力します。
Cさんは、努力している二人を見て悪い気はしませんが、どこか同情して欲しそうな二人を前に、気が重くなります。
AさんとBさんがCさんに近づこうとすればするほど、Cさんの気持ちは冷めていきました。

あるとき、Dさんがやってきて、Cさんと話をします。Cさんはここで改めて、Dさんと話したときに得られる軽快さと、Aさん、Bさんを前に感じる気の重さの違いを感じます。
「人間とは、本来これくらいの気軽さで付き合うものだよね」と認識したCさんは、AさんとBさんの前から去って行ったのでした。

残されたAさんとBさんは、また「寂しいね」と語り合う毎日を繰り返しています。
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この喩え話では、AさんとBさんはCさんに相手にされていません。
AさんとBさんの心の自立度合いがCさんと違うからです。
誰かに何かをしてもらおうと企んだ上でのおつきあいは、どうやっても相手に気の重さを感じさせます。
すなわち、AさんもBさんも「他者を幸せにする」気概をもたなければ、Cさんのような人に相手にされないのです。

望むものを手にするには、まず自分が望むものを与えられなければいけないのです。
ということは、自分で自分の寂しさを相手し、寂しさを埋めるのが先ということになります。

「寂しさ」というのは、人と人をくっつける強い力として働きます。
一方で、寂しさに乗っ取られた人生は、人と人とのつながりを貧しくもします。
ちょうどよい程度の寂しさと同居することで、与え・与えられる喜びを感じることができるのです。
そうですね、「寂しいから」という理由は4番目くらいの重要度でいいです。

結婚する理由の筆頭が「寂しいから」であってはなりません。
そういう関係はいずれ、「私の寂しさを埋めてくれないじゃない!!」という怒りに変容します。
怒りは意心地の悪さを生み、家庭はまるで地獄のような世界になります。

これでは何のために生活様式を変えてまで結婚したのかわかりません。
ですから、結婚したいなら、まず自分の心の様子を点検してみて下さいね。