感情は日々生み出される。
衝撃的な出来事を目撃したら、驚くだろうし、
言いがかりをつけられたら、怒りが湧くだろう。
優しい言葉を掛けられたら、心が安らぐだろうし
人間違いをしたら、恥ずかしさでいっぱいになる。
私たちは感情に浸ることや振り回されることはあるけれど、掴むことはできない。
気配は感じても見ることの出来ないお化けのような存在である。
しかし、その存在は深く影響を及ぼす。
試しに考えてみて欲しい。強い感情が湧くと、誰かに言いたくて、聴いて欲しくて仕方がなくならないだろうか。
時として、一人で抱えきれない感情が生まれることもある。
そんなにも影響を及ぼす存在なのに、その性質・有り様は知っているようで知らない。
特に、日常に潜むほのかな感情というものに、我々は無頓着だ。
日常の一コマにおける感情のやりとり
例えば、友達の家で羊羹が出されたとしよう。
そのとき、貴方はどう返事をし、友達はどう感じるだろうか。
返事の仕方次第で、友達は様々な感情を抱くことだろう。
このとき、我々が取りがちなのは、友達に儀礼的と感じさせる選択だ。
一番無難で、一番考えなくていい。
しかし、なぜ友達が羊羹を出してきたか?を考えたとき、儀礼的な選択はベストとは言いがたい。
友達はある感情があって羊羹を出してきたのだから、その感情に絡んだ返事が良いだろう。
先ほどの表に、感情に絡んだ度合い「呼応度」の列を足してみよう。
友達はどんな感情があって羊羹を出してきたか?→それは私を喜ばせたい感情があってだ。
なら、1番目の大好きだという返事でも十分ではないか?と思うだろう。
だが、喜ばせたいに呼応した返事は、喜びました、ではない。
喜ばせたいに呼応した返事は、喜ばせたいという心(気づかい)を感じ取りました、である。
前者(喜びました)は自分の好き嫌いに左右される利己的な返事に対して、後者(気づかいを感じ取りました)は友達の思いに応えようとする利他的な返事なのだ。
その点、丁度甘いの食べたかったんだは、今この瞬間貴方の心を受け取ったからねというメッセージが込められているので、ちゃんと友達の感情に呼応しているのである。(言葉ではタイミングの良さを述べているが、本当に伝えたいのはそこではない。)
感情が湧いて、感情が受け取られて、感情が成仏する。
このループを上手に回せると、居てる全員の感情がすっきりとして、爽快な気持ちになれる。
羊羹が出された事に対する返答、というほんの小さな出来事に、これだけの感情が絡んでいる。
だとしたら、日常的にする会話が感情を成仏させられなければ、いったいどれだけ溜め込まれるのだろう?
カウンセリングは感情を成仏する方法を授けること
カウンセリングの必要な人は、感情の扱いがとっても下手だ。
他者の感情に呼応した返事を出せず、他者から感情に呼応した返事をもらえず、ひたすら自分の内に内に感情を溜め込んでいる。
それは、さぞや辛いことだろう。
従ってカウンセリングとは、感情の扱いを上達させる方法を伝授することである。
クライアントは溜まった感情を的確に表現することすら難しい。愚痴は出るけど、感情の正体は掴んではいないのだ。
だからまずは感情が正確に表せるように、手助けをする。
そして、露わになった感情がクライアントにとって良き影響をもたらすのか、そうでないのかを共に考え、現在のような感情が出てくる経路を軌道修正する。
修正した経路を定着させるために、練習プランを作成し、その遂行を後押しすることで、考えを生活に根付かせ、カウンセリングがなくても生きられるように自立を促すのである。
カウンセリングは、手出しをしないで、本人の気づきを待つというスタイルが主流だったが、これからは、短期間である程度目指す方向性を設定して、突き進んでいくというスタイルがいいんじゃないかと思う。
溜まった感情が心を痛めつけ、身体を攻撃する。
腹に溜めない、感情の持ち方を変える。そうなれれば、どんな感情が芽生えようとも、適切に対処できるようになります。