なんでムラ社会にこんなに傷つくんだ!

私たちは、「みんなと一緒じゃない」「常識って呼ばれる範疇にいない」と指摘されたらとっても傷つく。
ホントは傷つかなくていいのに、言ってきたヤツの性根が悪いだけなのに。
なんで傷ついてしまうんだろう?

そう思ったきっかけ

今ちまたで大人気のドラマ「逃げるは恥だが、役に立つ」でアラフォー独身キャリアウーマンの百合ちゃんが、上司の的外れな独断に抗議に行き、去り際に閉めたドアの向こう側で聞こえた「融通の利かないヤツだ、だからあいつは独身なんだ」という一言に傷つき、後日ふとしたきっかけに抑えていた感情があふれ出し、号泣するというシーン。

共感して、一緒に泣いてしまった。

人は「図星だから傷つくんだよ」というけど、果たして図星なんだろうか?
世の中の仕事に打ち込んできた女性に、世間の風当たりは強い。
どんなにお客様のために頑張っても、地位が上がっても、いっぱい稼いでも、「でも、結婚してないんでしょ?」の一言で不完全人間扱いを受ける。

一寸前までは、私もどこか世俗的な考えで、「結婚していないなんて、何かあるに違いない」と思っていたが、必ずしもそうとはいえない気がしてきた。
少なくともドラマに描かれている百合ちゃんは、ちょっとこじらせてはいるけど、一生懸命生きていて、周りのこともよく見ていて、大変魅力的な人だ。
そんな人の中にも結婚していない人がいるのだったら、私は考えを改めなければいけない。

かの有名なメイクアップアーティスト藤原美智子さんも、たしか結婚は50歳だった。
人それぞれ、結婚するもしないも、結婚の年齢が低いも高いもアリだ。

それでも人はムラ社会に染まりたがる?

私たちは「一般的」から外れた時、孤立感を持つ。
周りが学校を出て正社員としての採用が決まる中、自分だけ決まらないと焦るだけでなく、世の中から切り離された気になる。
周りが結婚だ~、出産だ~、と騒いでいるときに、海外赴任が決まると、胸がざわざわして、老後一人だったらという懸念が頭をよぎる。

多くの人が渡ってきた、その橋を渡るのは、先が分かるから怖くない。
それを証拠に、前例があるからというと、だいたいの人が「じゃあ」と腰を上げる。
反対に、ほとんどの人が渡っていない、もしくは渡ったことが記録に残っていない橋を渡るのは、先が闇過ぎて足がすくむ。
なんどもなんども説得してやっと周りから合意を得られることもあるが、大概は「成功しないなら止めとこう」となる。

だけど、知らない橋だから渡る価値があるんじゃないか?生き方のバリエーションを増やすことだって、立派な業績だ。
だが、日本はそれを許さない。「アイツ一人、勝手に橋を渡るなんて、ルール違反!」とばかりに叩きのめす。
この「みんなと違うよ」叩き。実は相手を痛めつけるのに、とっても効果的だ。

我々の中に「人という種族は一人では生きていけない、協力関係を必要とすることが骨まで染みこんでいる」ので、みんなと違う イコール 生命の危機 と感じる痛みが内臓されている。
元々備わっているスイッチをポンと押すのはワケない。
つまり、痛めつけるなら、「オマエ異質だぞ、孤立するぞ」と脅せばいいのである。

孤立したっていい!という新しい波をつくろう

これに対抗にするには、孤立同盟をつくることだ。
残念ながら、痛みはそう簡単に取り去れない。
だから、一人一人が異質で、孤立している、ゆるい繋がりを作っていこう。
対話を通して、異質であることを認め合い、でも人間として根底で繋がっている、というささやかな安心感があれば、それでいいんじゃないだろうか?

死亡してから見つかるまで何日もかかるのはゴメンだけど、死亡した次の日くらいに仲間が見つけてくれれば、それでよいではないか?
みんながみんな、誰かに看取られるじゃなくても、どうせ死ぬときは一人なんだから、マイペースにあの世に行くのも気楽でいい、と思うのだ。

これから日本は高齢化社会だけでなく、どちらかというと個を大切にする社会へと進んでいくだろう。
もう昔みたいに、標準の生き方モデル、というものを踏襲できなくなってきた。
バラバラの中に、小さな共通点を見つける。こっちの方が現世にあっている。

ムラ社会のイジメに傷つかないために、新しいつながりを作ってきませんか?