「あなたのために」と言い張る全母親に言いたい

「あなたのために」というのなら、私の気持ちは晴れやかにならなければいけない。だが実際はその言葉を言われるたび、私の気持ちは曇り、苦しくなり、墜ちていく。

「あなたのために」から逃れるには

ほんとうに相手のためが何かを分かっていない人は、「よかれと思って」を免罪符に、「ために」というタオルで私の首を絞めあげる。ただしその人は、私の首が冷えないようにタオルで覆ってやってるつもり。良いことをしていると心の底から思っている。

じわじわと締め上げられた私の首は息をするのも絶え絶えで、朦朧とした意識の中、足元がふらつく。そんな仮死状態が何十年と続き、いつの間にか当たり前となって感覚が麻痺してしまった。

だけど偶然誰かの勇気ある行いを目の当たりにしたとき、「このままでいいのか?」という思いが押し寄せてきた。思いは次第に大きくなって、タオルを締め上げる力にあらがう。すると締め上げていた手が緩んできて、私は意識を取り戻した。
そして気づくのだ。「これは間違っている」と。そこで最後の力を振りしぼって、タオルをふりほどき逃げる。

これが毒親から離れるということ。
昨晩見た「明日の約束」というテレビドラマで感じたことです。

謝罪がもたらす光

先生である主人公は最後まで毒親と和解できなかったけれど、生徒はできた。
「お母さんが、謝ってくれたの。嬉しかった」
そう生徒はいった。

謝るっていうのは、過ちを認めるってことだけじゃなくて、「あなたは間違ってなかったのよ。」という罪の意識からの解放であり、「悪いのは私なの」という罪の意識の引き受け。謝ってくれて初めて、罪は正しく背負わなければならなかった人のところに舞い戻る。

そうしてやっと人生をリセットできる。私の締め上げられて朦朧としていた日常が、平穏で平坦な景色へと変わる。「全部私が悪い、私はクソだ」と思ってた想いが、そうでもなかったに変わる。

謝るというのは、それほどに相手の人生を一変させる力を持つ。

あのドラマを見てどれほどの母親が娘に謝れるだろうか。
「娘に幸せになって欲しい」そう願うなら娘の罪の意識を引き受けてやってくれ。お金じゃなくて、プレゼントじゃなくて、娘の人生を軽くしてやる、そういう言葉をクリスマスに贈って欲しいと願わずにはいられない。