居心地の悪さを感じたら、そこはムラ社会

正月に帰省して、久しぶりに友人に会ったらなんだか居心地が悪い。
そんな経験ありませんか?
なぜ、そう感じるのか、紐解いていきましょう。

独身叩きを楽しむ既婚者

地元の友達は既婚で子持ち、対して自分は独身。こんなとき周りは子育て話に盛り上がり、話が一巡すると、独身叩きに入る。
「だれか良い人いないの?」「ずっと独身のままだとヤバいよ」「高齢で親になるって大変らしい」。

みんな一緒だねー!という帰属意識と、例外者への容赦ない攻撃。
そこに、対話はない。
あるのは、ムラ社会。

ムラ社会は、知っていること以外全力で排除。
知らないことなんて認めていたら、せっかく築いた正しいと信じられている牙城が崩されてしまうから。
[知ってるって実績だよね、過去にそうしてきたってことは正しいに違いないよね]、にしがみつき、手放そうとしない。

こんなとき、多勢に無勢。たった独りじゃ勝ちようもない。まさに、息も絶え絶えの【独】身。

考える脳を持たない人々

しかし、知っていることが正しいことだという考えは脆い。
どんなことも時代と共に、価値観と共に、変化する。
今日正しいことは、明日には間違い。今正しいことが、見方を変えれば誤り。

現代の我々が江戸時代の暮らしを出来ないように、昭和世代の生き方を平成には持ち込めない。

なのになぜ脆い時代遅れな考えに拘るのか。

それは、考える、という姿勢を身につけていないからだ。
考える、はいつでも、この瞬間でもできる。
ただし、考える脳を鍛えないと、考えることができない。
だから過去の答案用紙を丸写しする。
丸写しを恥ずかしいとさえ、思わない。

むしろ考える脳を持たない自分が露呈することを恐れる。
出来の悪い自分を許容できないのだ。

必死に繕った出来る自分たちを映し出すための、虚像スクリーン。それがムラ社会。

効果的な反撃の仕方

とは言っても、凡人は多勢に無勢だと、心が折れる。
なので、せめてもの反撃で、「みんな余程旦那さんとも上手くいってるんだね。ひとりずつラブラブエピソードを聞かせてよ」とでも矛先を振ってみよう。
子供への愛情は尽きることなく話せても、ムラ社会住人の家庭は上手くいっていないことが多い。
夫の価値観と妻の価値観が衝突しやすいのだ。

見栄っ張りの皆さんは、それなりのエピソードを披露するだろうが、内心さぞかし居心地が悪いことだろう。
それが小さな反撃。
それもこの反撃、横一列をヨシとする雰囲気において、他人の芝生が青く見える情景を生み出しやすく、あなたへの注目はあっという間に消え去るという副作用つき。

来年からは、ムラ社会の会合には是非参加しないことを進める。
たとえあなたがムラ社会住人と同じステータスを手にしていてもだ。
対話なき世界に、明日はない。ただの疲れる場と化すことは容易に想像がつく。