大人の婚活は捨てることから

イケメンで、優しくて、社会的に安定していて、家族もちゃんとした、年の近い人と結婚したい。
そりゃ、そうだ。

だが、言い尽くされているように、全部を持っている人などいない。
人それぞれ、持っているもの/持っていないものがある。
それを頭で理解してなお、何一つゆずれない大人がいたら、それは出会える出会えないに関わらず、大問題だ。

若くして結婚するのと、年を重ねて結婚する違いはなに?

若いときは可能性に溢れている。
今なくとも、将来手に出来るかもしれない、という期待が、前へ前へと我をいざなう。
だから一ついいな、と思う相手がいたら、それだけで恋や結婚へ進む起爆剤となる。

一方年を重ねると現実が見えてくる。
今ないということは、将来もない、という現実に、足がすくむ。
だから自分が持てそうにないものを持っている相手を手に入れて、手っ取り早く持っている自分に変身しようとする。
あれも、これも、と相手に多くの注文をつけ、結婚に一発逆転を掛ける。

年齢を経るほどに、直感的から、悪い意味での慎重深く、相手選びをする。

捨てれば見える、あなたに必要な相手

「いい人がいない」を結婚しない理由に挙げる大人は、実に子供じみている。
相手の一ついいなと思うところを見つけて進む勇気も持てず、かといって、持たざる自分を覚悟することもできない。
”思い通りじゃなきゃ、イヤー!”と、ダダをこねている子供だ。

将棋の羽生善治三冠が「経験を積むことによって不必要な情報は捨てられる。無駄なことを省くことができるというのが本当の意味での経験を生かすということ」と語っている。
大人ならば、経験があるはず。その経験を情報の取捨選択に生かさないのはなぜか。

欠点のない人などいないことは、よくご存じのはず。
ならば、現実解に近づくには、「全部ちょうだい」から、「これだけは必要、後は捨てる」といった潔さが必要なのは、いうまでもない。

「捨てる」
これが自分に相応しい相手を見つける最短ルート。

もしも「捨てる」ができないならば

広い空間に、たくさんのものが散らばっている(可能性がある)のが子供。子供は選択する責任をとらなくてもいい。
その空間を掃除して、要・不要を分類し、不要なものをゴミ箱に捨てるのが大人。大人は自分の判断力を以て、仕分けする義務を負う。
でももし、どんなに考えても、分類が出来ないのであれば、そこには捨てられない理由が潜んでいる。
もはや、結婚できる・できないの問題ではなく、可能性を手放すことが怖い症候群のような心の病。

こういうときは、専門家に手伝ってもらうことを勧める。
仕分け出来ないことは、無能なことではない。
強い抵抗心が働くから、仕分けするハードルが高いのだ。
この抵抗心にフタをすると、こじらせ○○を発症する。
恐れはあっていい。でも放置してはいけない。ちゃんと大人になれるよう、ステップを踏んでいこう。