誰しもバカにされて悔しい思いをしたことがあるだろう。
ACは他に比べてバカにされやすい傾向がある。
そんなACの力となるべく、バカにされることに正面から向き合い、考察を深めていく。
バカにするとはなにか?
誰かが誰かをバカにするとき、バカにされる人には2つの特徴がある。
- 当たり前、とされてることが出来ない
- 年齢に応じた気配りが出来ず、自分ばかりを優先する
だいたいの人は、ある想定を元に生きているので、想定を下回る人を不協和音の様に感じる。
想定は、見た目・知力・体力・器用さ・物事を見通す力・器の大きさにまで及ぶ。
それらを
想定以上
想定通り
想定以下
の3パターンに分け、以上の人には尊敬の眼差しを、以下の人には軽蔑の目を向ける。
バカにされるとは、言うまでもなくこの軽蔑の目を向けられることである。
一定の技術や知識があってもバカにされる人がいる理由
この2要素の内、どちらも想定通り以上を満たさなければならないか、というと、実はそうでもない。
むしろ、欠けてはいけない要素が欠けたときのみ、バカにされる。
”そんなの、当たり前とされてることが出来なかったときに決まってんじゃん!”と思うかも知れないが、意外や意外「自分ばかりを優先する」である。
ここで特定のことを想定以上に知っている代表として、オタクを想像してみよう。
彼らは知識層であり、ある分野では尋常ならざる情報を有する。
だが、一般的にみると「どーせ、オタクでしょ」とバカにされることが多い。
同じリングで戦う者同士からは尊敬されるが、リング外にいる人からは、特異点以外では普通以下という軽蔑を受ける。場合によってオタクをチェスの駒のような手足として使おうとする人さえいる。
想定以上に出来たとしても、バカにされないわけではない。
ただ、オタクより上の「神」と呼ばれる人達は、オタクのようにバカ扱いされない。むしろ尊敬される。
尊敬と軽蔑のはざまにあるもの
では、オタクと神は何が違うのか。
それは、「自分の事ばかりを優先」しないことである。
物事を突き詰めて考えていくと、どうやっても壁にぶつかる。
どんなジャンルであっても行き着く先は、真実だ。
やってみて、上手くいって喜んで、ハマって、さらにやって、を繰り返すと、自分のためだけにやることでたどり着くゴールの限界にくる。けどそれではまだまだで、もっと先が知りたくて、そうしたら、どうやっても自分の欲を超えなくてはいけなくなる。そこで初めて、「自分の事ばかりを優先してきた」ことに気づき、どうしたらその殻を破れるか、を考える。
考えて、考えて、考え抜いた先にたどり着く真実は、周りを包括する客観的悟り。
悟りに達した人の言葉は、オタクに留まらず、全ての人をも包み込む。
だから「神」になる。
バカにされないために出来ること
オタクの例から学べることは、尊敬は周りを包括する客観的悟りによって生まれる、ということ。
何か当たり前とされていることが、想定以下しか出来なくても、悟りさえあればバカにされない。
仮になわとびが死ぬほど下手でも、周りの落胆を感じ取り、「今、オレの縄跳びすっごい下手って思ったでしょ?その通り。まいちゃったな。どうやるのかコツを教えてよ」と、相手に華を持たせれば、下手さはチャームポイントに、そして相手に優越感をもたせる出来事に変えられる。
大事なのは当たり前の事が出来るではなく、出来ても出来なくても自分(の気持ち)ばかりを優先せず、相手のことを考えられること。
次回、この考えに変われる方法をお話したいと思います。
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