家庭に「納得」を求めると家族が崩壊する

世の中には頭のいい人がごまんといます。その人たちは、目の前の問題をさっと片付け、周りから尊敬と羨望の眼差しを向けられます。

けれどもそういう人に限って、家庭が上手くいかないことが多いように思います。理由は「納得」を求めるから。

「主張するなら、きちんと理由を述べなさい」というのは、まともに見えて、実に息苦しい。ビジネスマンである親(特に父親)は、会社で当たり前になっているので、家庭でも…と思うのですが、家庭にはふさわしくありません。

理路整然さは求められれば求められるほど、安らぎを求める家族との溝は深まります。

男性の皆さん、「納得」は大切ですが、それよりもっと大切なものがあるんじゃないでしょうか。「納得」を求めることが招く怖さを、いまいちど考えてみませんか。

f:id:idea-for-life:20190606120753j:plain:w400

「納得」が家庭崩壊になる理由その1

「納得」するとは、聞いてる人々と全員がすんなり受け入れられる状態です。たとえば、暑い日に窓を開けると風が入って涼しいと分かっているとき、窓を開けることに反対する人はいません。

ここで窓から入ってくるチリで咳が止まらない人がいたとしましょう。すると、窓を開けることが正解がどうか分からなくなります。だから、事情を考慮して、どうするのかの検討に入るでしょう。

けれども「納得」を優先する人物が、「チリで咳をするなんて仮病だ」と思ったなら、はなから取り合ってはくれません。その人物にとっての「納得」できる理由がそこにないのですから。

「納得」とはその人が今まで生きて頭に刻んできた「当たり前」です。生き方は人それぞれで、みんな自分だけの「当たり前」を持ち合わせています。

それゆえ「当たり前」が全員ボクと同じでしょ?というスタンスに立った「納得」優先の生き方は、[みんなが自分だけの「当たり前」を持っている]という現実からかけ離れています。

当然そのような暮らしをしていれば、遠くない未来、家庭は崩れ、堕ちていくことでしょう。

「納得」が家庭崩壊になる理由その2

「納得」が優先される世界で、強い者と異なる「あたり前」を持つ弱い者は、自分の「あたり前」を諦めざるを得ません。「当たり前」を諦めるということは、自身への否定であり、「私はこれでいい」という受容の機会を逃すことです。

否定され、受け入れられる機会も得られず、仲間はずれのように居場所を追われた人々に待っているのは、すさんだ世界です。

親が立派な職業に就いていて、子供が引きこもっているケースは、親の「納得」が子供を押しつぶしています。

「納得」が家庭崩壊になる理由その3

マジョリティーがもつ「当たり前」は時代と共に変化します。ところが「納得」を求める人物は、なかなか「当たり前」のバージョンアップを図ろうとしません。

家族が時代から取り残される イコール 家族存続の危機です。私達は社会に生かされ、社会とともにあるからこそ、社会に受け入れられ、社会に溶け込んで生きていけるのです。

かたくなに「納得」にしがみついていては、浮いてしまいます。とくに男性は定年後に「当たり前」を変えようとしません。○○社の部長だった肩書きにこだわり、下働きすることを嫌い、妻に命令し世話をさせ続けます。

せっかく一緒の時間を過ごせる老後、妻を夫源病にしてしまうのは、この「納得」を求める態度を改めないからです。

信念と納得の違い

信念を持つことは、生きる上でとても大切です。では、その信念とは誰のためにあるのでしょう。

自分のためですか?

違いますよね。社会のためです。社会がよりよくなるために、自分という命を使って、世の中に貢献する。この思いを凝縮したものが信念です。

でも信念と「納得」を取り違えて、「当たり前」を振りかざしている御人の多いこと、多いこと。

ソクラテスが「無知の知」を説いたように、私達は知らないことにもっと畏怖の念を持つべきです。「当たり前」が「当たり前じゃないかも」に心を近づけるべきです。

「当たり前」を堂々と振る舞う恐ろしさ、「納得」を求める傲慢さに、頭(こうべ)を垂れ、学ばねばなりません。

信念は持ってください。「納得」は手放しましょう。「納得」は100%自分の利益だけのものですから。自分の利益だけを拡げようとすればするほど、周りは犠牲を強いられることになるのですよ。

家族はその、最たる被害者です。