私が救ったある少女の一生「愛されない地獄からの解脱」

女の子は生まれる前から、異性に愛されるかどうかが決まっています。容姿でもなく、努力でもなく、運命だけで決まっています。つまり、私達個人ではどうしようもないのです。

どういうことなのでしょう?
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愛される人とは?

愛される人というのは、男性を立てることが上手です。男性の良いところを見つけ、困っているときは手をさしのべ、最高のサポート役として、苦もなくその役割をやってのけます。

親から十二分に愛情を注がれ、すくすくと育った少女は、親がしてくれたように周りの能力を伸ばし、讃え、支えることができる。だから自然と、男性を立ててしまいます。彼女がそばにいるだけで、自信のない男性は自分を肯定できるようになり、自分勝手な男性は上手く周囲と打ち解けられるようになる。

彼女といることで恩恵を得られると分かった男性たちは、こぞって彼女を傍に置きたがります。容姿や社会的地位と違って、相手を立てる能力は、上がることはあれど下がることはありません。

ですから、愛される人はいつまでも愛され続けるのです。

なぜ、愛されるのか?

つまり、愛されるかどうかは「親から愛情を注がれるか」で決まります。親が子供の「どうしたい」を優先すれば、子供は自分に目を向けられる快感と安堵を体感し、その意味を実感します。そして親を見習ってそのようになりたいと、他者の「どうしたい」を感じとる技術を磨きます。

他者の「どうしたい」は、見えないものを見ようとする行為ですから、一朝一夕に身につくものではありません。さまざまな試行錯誤の上、その人ならではの相手に対する深い理解をもって、徐々に見えてくるようになるのです。

誰もがもつ能力ではないがゆえに、それを持つ者の希少性はかなり高く、ダイヤモンドの如く多くの人を惹きつけます。女性の輝きはホンモノです。だから男性もトロフィーワイフのようにみせびらかし目的で近づいてはきません。本当に愛してくれる人だけが、やってくる。

なぜ、愛されないか?

こんどは愛されない女性について考えてみましょう。

好きな人に好かれない、浮気される、構われない、といったことに悩まされる女性が、なぜ愛されないかというと、見えるもので決着を付けようとするからです。容姿を磨きましょう、美しい所作を身につけましょう、料理の腕をあげましょう、ワインや外国語などの知識を身につけましょう。

そういった、誰にでも分かりやすくアピールできるもので勝負しようとすると、そういったモノやスキルに釣られる男性を引き寄せてしまいます。その男性の目的は、色々なモノを持っているあなたを吸収合併して、自分を大きくすることです。

見据えているのは、あくまでも自分の未来だけ。女性はただのツールに過ぎません。手の中に入れたら、速攻で飽きます。

愛されない人がやっていることとは?

飽きられた女性が、愛されないがゆえにしてしまうのが、要求です。高級品をプレゼントして欲しい、を筆頭に、どこかへ連れ出して欲しい、周りに自分を紹介して欲しい、そうやって要求を相手に飲ませることで、”私のためにここまでしてくれるんだから、愛されてるわよね、私” と思いたい。

愛されることを強く求める女性に、気持ちが萎えていく男性。愛されプロデュースに必死な彼女たちを見て、彼らは思うのです。”俺を愛してるんじゃなくて、彼氏に愛されてる私LOVEなんだね"、と。

結局の所、自分を大きくしたい男性と、愛されプロデュースに余念がない女性では、どちらがより多く奪い合うか、というゲームに終始してしまい、結実するなにかは生まれません。当然ながら、共に白髪になるまで一緒にいたいといった深い絆が築かれることはないでしょう。

私が救った少女の正体

人生のスタートに「愛情を注いでくれる」親の元に生まれるか、そうでない親の元に生まれるかで、愛されることのすべては決まります。これが正真正銘の格差だと、私は思います。その格差を知らされることなく、我々は今まで「愛される」ことがデフォルトと植え付けられてきました。だから「愛されない」ことは、人間失格と思い込み、必死で婚活したり、愛されようと己と格闘したり、とにかく手に入らない幻想を必死にかき集めてきたように思います。

でも現実は違った。努力なんか関係なく、運命として「愛されない」が決定していたのです。最初から「愛されませんからね」と断っててくれていたら、私はこんなにも苦しまずに済んだのです。シンデレラの物語をキラキラした目で読まずにいられたのです。

現実は残酷です。愛されないシャワーを連続して浴びる毎日です。一度、刻まれた「愛されたい」欲は、そう簡単には消えません。だからこそシャワーが肌に突き刺さる。これが今まで生きてきて感じた、私なりの地獄です。

それゆえ私はある選択をしました。同じような思いをする人をなくすという選択。
だから私には子供がいません。そして、その選択は間違っていなかったと、今になって思います。

ある意味、子供を誕生させないことで、少女が「愛されない地獄」を見ることを防いだのです。私みたいなののところに来た子供は、愛される実感を味わうことなく、その命を閉じてしまうに違いありません。

どんな子供も、この世に生を受ける限りは、十分に愛されて欲しい。自分では与えてやることができなかったからこそ、心から強く、強くそう願います。