マウンティングをする心理

他人が自慢してくると、負けじとつい自慢仕返していませんか?
相手の上に立ちたいという気持ちが勝って、ついついしてしまうマウンティング。その心理について考えてみたいと思います。

マウンティングがもたらす快感

人がマウンティングをする理由、それは快感を得るためです。並みいる相手を蹴散らし、私が一番!となったとき、全てが我にひれ伏す。勝った!という思いは、我々に強烈な幸福感をもたらします。

それはまるで閉じ込めてた何かが、バーンと飛び出てきたかのよう。すごく勢いづいています。

でもなにゆえそんなに勢いづいているのか?というと、なにやら普段抑えている感情が見え隠れします。
お腹いっぱいのときに、ご飯を食べたいとは思わないように、普段から心が満たされていたら、自分が一番!なんて、わざわざマンティングしない?!

ただ偉くいたい、強くありたい、とはどうも様子が違いそう。

マンティングしてしまう心の内と外の矛盾

もし心の底から自分のことを認めていたら、わざわざ言葉に出して自分のすごさを宣伝するでしょうか?

宣伝するには、宣伝せざるを得ない心理が隠れている。
マウンティングする人は、自分を賞賛したいけどイマイチ賞賛しきれていないから、他人からの賞賛を集めて、自分を確たる地位へと押しあげるのにやっきになります。
心の内では、自己を否定し、心の外では、自己への賞賛を集めている。とても矛盾した行いです。

では、なぜそんなねじれを生じてしまったのでしょうか。

マウンティングは敬意の不足が生んだ産物?

生まれたばかりの赤ん坊は、自分、という存在を認知できません。外界からさまざまな刺激をもらって次第に自己を認識していきます。そのときに、意思を確かめられたり、気持ちを代弁してもらうことで、自分を正しく捉えられるようになります。
例えば、親から「○○してはいけません」ではなく、「あなたはどうしたらいいと思う?」や「出来なくって悔しかったよね」と声を掛けられると、自分が思ってたことがきちんと形作られて、気持ちが安定します。

マウンティングする人は、この過程を十分に経験していないので、自分がなんだかあやふやです。それを補強するために、「私はスゴイのよ」と宣伝して「スゴイね」をもらっている。

でも皆さんも経験したことがあるように、相手から賞賛されても瞬間的な喜びにしかならず、やっぱり自己はあやふやなまま。むしろ、瞬間的喜びが続かないことに不満を抱いて、もっともっと賞賛を集めたくてしかたなくなる。

結局の所、あなたの気持ちに敬意を払われることがない限り、賞賛収集ジプシーのように、ひたすらマウンティングを繰り返すことなるのです。

インターネットは賞賛収集ジプシーを中毒にする

昨今話題にもなっている、SNSで盛る行為。これぞまさに、賞賛収集中毒。

集めても、集めても、手の隙間から賞賛という心の安定がすり抜けていく。だから次はもっとゴージャスに、もっと目を引くように、と行動がエスカレート。
最後には、今を生きてるのか、仮想の世界で賞賛集めゲームに熱中してるのか、分からなくなってきています。

マウンティングの行き着く先

マウンティングに終わりはありません。
結婚したら、子供が生まれたら、出世したら、自分を認められる?

そんなことはない。

自分よりも幸せそうな人に出くわしたら、やっと手に入れた幸せにかすみがかかり、もぞもぞとマウンティングしたい気持ちが再熱します。
人生の最期までひたすらマウンティングを繰り返すことは、ただの消耗でしかない。

ティッシュペーパーやサランラップのような人生、何が楽しいんでしょう?

自分を消耗してはいけません。大切な「人」です。
ちゃんと受け止めて、ちゃんと拾ってあげましょう。

やり方が分からない人はお手伝いします。是非ご相談を。
kokorononagare.net