女性同士のマウンティングは悔しさのはねっ返り

あからさまに相手を見下したり、暗に自分の方が上だと示す「マウンティング」。女性の間でカナリ?流行っています。一方で、マウンティングにより傷ついた人、自尊心が損なわれた人がいるのもまた事実。

「マウンティング」されっぱなしでいいのか、そもそも「マウンティング」はなぜ起きるのか。「マウンティング」を深掘りして、その意味するところを捉えたいと思います。

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マウンティングする理由

女性の間でもっとも起こりやすいのが、結婚・出産にまつわるマウンティングです。友達より先に結婚した、優れた男性と結婚した、男の子を産んだ、女の子を産んだ。

分かりやすい優先チケットを手に入れると、途端にあなたよりすごいんだからね!と息巻く女性たち。それはあたかも千載一遇のチャンスを逃すものか、という執着に見えます。

ではなぜ、優先チケットをいちいち見せびらかすのでしょう。

リベンジだからです。ずっと劣等感に包まれていて、悔しい思いをしてきた。それを払拭するときが、この今なのです。劣等感を溜めて、溜めて、溜めて、やっと解放できる時が来た。ならば、思いゆくまで解き放とうと。

そういった思いに取り憑かれた者は、遠慮がありません。相手がどのような事情を抱えていようともお構いなしに、「ねぇ~、○○しないの?」と詰め寄ります。

自分が劣等感にいいように使われてることに気がついていないのです。

マウンティングするのは動物的

人が「これをいいたくてたまらない」という気持ちに囚われるとき、「なぜそのようなことを言いたいのか」を見返す冷静さはありません。「いいたいから、いうのよ」という動物的な脳領域だけが動いている。

見方を変えれば、それだけ人は感情に突き動かされている、ということです。闘争の中に、ポジションを見いだそうとしている。だからこそ、このような行為を「マウンティング」と名付けたのでしょう。

でも、そこまでして得たいポジションとは一体なんなのか?絶対的強さを誇れるようなものなのか?はなはだ疑問です。

小さなサル山の大将など、吹けば飛ぶ存在。それも感情任せなところが、理性という点で人以下。

真に優れた人は、感情をきちんとコントロールできているのです。

マウンティングが本当に意味するもの

ー心に穴があきまくりー

これがマウンティングしてくる人の実情です。本来、その穴を埋めるのは、自らの役目。しょせん他人からいただける賞賛は、瞬時の快楽にしかなり得ない。本格的な修復とは別物です。

その人が本当に云いたいのは、「私すごいでしょ」ではなく、「私悔しいの」。ただ当人でさえそのことに気づいていない。

結婚したとたん手のひら返して、結婚礼賛してくるのは、未婚の時味わった悔しさを未だ引きずっているからです。傷ついた心の手当が済んでいません。

だからマウンティングに対するお返しは、悔しさへの気づきを促すこと。すなわち、「そうか、今を自慢したくなるほど独身のとき、辛い思いをしたんだね」。

表面上の言葉ばかり追いかけても、真実は見えてはきません。深層にある「人をマウンティングに導く何か」に注意を向けられたとき、わずかながらその正体を垣間見ることができるのです。

マウンティングへの対抗手段を整える

マウンティングされて嫌な気持ちになるのは、相手の毒(悔しさ)に汚染されるからです。黙っていれば、同じ毒に侵されてしまう。だからこそ自らの手で、毒を制するワクチンを打ちましょう。

それが先ほど触れた「マウンティングに導く何かに注意を向けること」です。マウンティングが当たり前の環境に育つと、なかなか意識を「何か」に向けるのは難しいと思います。

けれども練習を重ねれば、真実にたどり着く眼を養うことができます。

毒され慣れると、いつか自分も同じ土俵に上がってしまいます。それは第二のあなたを生むことになる。
そんなの本意じゃありませんね。

理性ある人としてあり続けるために、今からでも準備なさってはいかがでしょう。