ACはファンタジー世界の住人

オタクや二次元好きの人だけがファンタジーの世界に心酔しているとは限りません。
ACもまた、現実を直視せず、都合のよいストーリに身をゆだねようとしています。
今日はそのACの都合のよさについて考えてみたいと思います。

ACの夢

ACは心の底で、自分を受け止めてくれる誰かを強烈に求めています。
その誰かは、自分が落ち込んでいたら励ましてくれ、愚痴を言ったら慰めてくれ、間違ったら叱ってくれる人物です。
どんなときも自分を見捨てず、味方でいてくれ、生涯に渡ってつきあいを継続できる相手。

でも現実には、誰にも受け止められず一人ぽっちです。落ち込んでも無視され、愚痴を言ったら咎められ、間違ったら責めてくる人しかいません。
その現実が余計に無い物ねだりの夢を見させる。

ACの認知のゆがみ

100%味方か100%敵。そういう白黒思考が、嫌いな人は嫌い、好きな人は好きというパッキリとした色分けを行います。
同時に、自分もそうあらねばならないと縛ります。だから時に親切で時に敵意を見せるといったばらつきを許容出来ない。一度いい顔をしたら、その後の度重なる要求にNOと言えないのです。

その結果、ほとんど我慢するという戦略を採る。すると波風が立ちません。平穏な世界を築ける。その平穏な世界を保持するために、自分の気持ちは殺すべきだ、という観念に囚われています。
不整合性や、エグ味みたいなものを持ち込まない世界は現実離れしています。それこそまさにファンタジーの世界のよう。

完璧を装おうとする

ファンタジーの世界の住人は、落ち度のある自分が露わになることに耐えられないので、自ずと自分や身内の弱いところを隠そうとします。
介護の必要な現場に外からの人間を入れるのを嫌う。自分の弱い姿を晒すのを拒否する。そうやって、絶対に隙を見せまいと必死になります。
心の中で相手を100%敵と見なすから、「なにかされるんじゃないか」という恐怖が勝って、手に入るベネフィットをみすみす逃してしまってる。

そうやって最後まで意地を張って生きようとします。

自分が好きと思えるような人物になろうとしない矛盾

自分は隙を見せまいと必死な割に、自分そっくりな完璧主義者は嫌います。なぜなら相手も緊張感を抱えているから。
普段から人を敵視して緊張しているのにプラス相手の緊張感が加われば、居心地の悪さ山のごとし。
反対にちょっとヌケたところのある手を貸してあげなくちゃ感のある人は大好き。自分を超えるスキルも持ち合わせてないだろうという確信が持てるので、仮に敵であったとしても、十分な武力ではない判断できるのです。

ちょっと考えれば自分が好きと思える人は、他の人も好きと思う可能性が高いのだから、そういうヌケた役になれば人から好かれるのに、なぜかそうしない。
それは隙を突かれることがとてつもないく怖いからです。

現実から離れれば離れるほど、実現性の薄さが我を苦しめる

全身で受け止めてくれる人を欲し、全く波風を立てることなく生きることを是とし、白黒きっぱり分けて、隙を見せず生きていくことを目指すのは、あまりに現実離れしています。現実との隙間を埋めるには多大な犠牲を払わねばなりません。その犠牲が、自分の時間であり、心であり、労力です。

その犠牲を払って得るものは、果たして何でしょうか?

もっと現実世界に合わせて、曖昧さを含むあそびや、考えのヌケやモレ、へまやドジをあってよいものとすることで、自分の中の不完全さを受け止められるようになるのではないでしょうか。

我々ACを現実に引き戻すには、「自分に何が出来るか」と問いかけることです。
出来ないことは出来ないと諦めて他の人にバトンタッチすることを考える、出来ることはどうやったら出来るのかをとことん考える。
そういう主体的視点を持てたとき、世界はよりハッキリとした輪郭で我々の前に現れます。

現実を生きる方法

もし、ファンタジーの世界から足を洗うことができれば、より現実に沿った「孤独」が見えてきます。
あなたは誰かと代わることはできない、同時にあなたの苦しさや寂しさを誰かが肩代わりしてくれることもない。
既に自分で背負ったものは、自分以外ではどうしようもない、と知ったとき、避けようのない「孤独」が見えてきます。

けれどもそれはけして貴方の人生にマイナスをもたらすものではない。
孤独があるから、繋がりが見える。孤独があるから、個々の考えが尊重される。孤独があるから、不必要な侵襲を受けない。
孤独は、私たち一人一人と世界をつなぐ架け橋ともなりうるのです。

孤独が肝に座ったとき、問いは自分の内側へ向き始めます。「なんで周りは私に優しくしてくれないんだ?」から、「私の何が相手のやさしくしようする意気込みを削いでいるのか」に変わる。
これは自分イジメをしてください、と言ってるのではありません。
すべては自分の切るカード次第でなんとかなるということに気づいて下さい、と言ってるのです。主導権を手元に握って欲しいのです。

現実は空想の中にあるのではなく、手にしたカードの中にあります。何枚カードを持っているかで現実への対応能力が決まる。隙を突かれるのが嫌ならば、切れるカードを増やすために、自分に対する問いかけのバリエーションを増やすことです。