なぜ自分勝手なダメ男に女は惹かれるのか?

せっかく積み上げたものを、自分勝手なダメ男に台無しにされる女がいる。

傍から見ると、「なぜそんな不幸になりそうな男を選ぶの?」と不思議に思う。
でもそこは、磁石のN極とS極。引き合うだけの理由がある。

ダメ男にハマりやすいパターン

ダメ男に惹かれる女は2つに分けられる。

「地味さに嫌気がさしてる地味な女」と「表面上はデキル女」

地味な女は失敗するのが怖くて、大人しく無難に生きている。
毎日同じことを繰り返し、何かを選択するときは石橋を叩きまくってからにする。だいたいの決定は親のお墨付きを得てから。

こんな暮らしを続けていれば、だれでも飽きる。平凡すぎて、つまらなくなる。

だから刺激を求める。自分よりもずっと活動的な人に惹かれる。無力な自分をその男に投影しながら、違う自分になった気分に浸る。

この女にとって、相手は活動的でありさえすればいい。見境なく何かをやり始める短絡的性格でも、破天荒な破壊的性格でも構わない。大人しくなければ良いのだ。

ゆえに、選択を間違える。なぜなら、彼女にとって目立つ行動をする男ほど魅力的に映るからだ。
目立つ行動とは、エキセントリックで角の立った行動のこと。そんなことをする男は、ほぼほぼ生活が破綻する。


デキる女は周りから連勝を期待される。気を抜くことが許されない。
でも毎日テンパってては、張り詰めた糸は切れてしまう。かといって、周りが褒めそやす自分をリングから降ろす勇気も持てない。

そこで好き勝手やりつつも甘え上手な男に、自己を投影する。相手のわがままを聞いてやることで、自分の弱い部分を間接的に受け止めてやり、かつ人の世話をするという母性を満たす。

この女にとって、相手が自分勝手なわがままを通そうとすればするほど、かわいらしく感じる。聞き分けのいい相手は見たくない。なぜなら、それはいつもの自分だから。

彼はいろいろな物を巧妙に吸い取ろうとする。普通ならそこで警戒するものだが、デキる女は自分が与えられる喜びに身もだえしているので、気づけない。
そうこうしているうちに、身体も、時間も、お金も根こそぎもっていかれる。

人の幸せは物差しで測れない

先の2人。冷静な目でみれば、かなり不幸である。

だが、どちらもなりたい自分を相手に重ね合わせ、それなりに幸せを感じているのだから、一様に不幸と決めつけられるものではない。
親が子に、夢を押しつけるのと同様、異性に押しつけただけ。
違うのは、相手が成人しているから、相手次第で関係を清算する可能性があること。

それでも一過性の幸せで十分という人ならば、それこそが最良の選択とも言えるだろう。

関係を継続するためには

だが人間、年を取ると、恒久的幸せを求める傾向がある。
中学生・高校生は、恋人ができれば万々歳、にたいしてシニアは、パートナー的存在を求める。

私は成人以降のカウンセリングを行っているので、安定した関係を目指すにはどうしたらいいか? を考えていきたい。

先の2人は、「相手に自分を投影する」という共通点を持つ。
投影する理由は、今の自分に不満を抱いているからだ。
目の前の人に不満を解消した姿を見せてもらうことで、「ありのままの自分」から目を反らしている。

この自分をみないことが、ダメ男を選んでしまう理由である。

他人によって人生をなんとかしようとすると、他人の「自分にとって都合の良い面」だけを注視してしまう。
このあばたもえくぼ状態が、判断の目を濁らせる。

長く一緒にいるには、生活に必要な価値観が一定の基準内に収まっていなければならない。
金遣いがあらい、予定を共有しない、時間を守らない、異性遊びが激しい。
そういったことは、一つの美点でチャラにはできない。

でも、相手は自分なのだから、簡単に切り捨てられない。そこで我慢すべきか、切るべきか、を行ったり来たりして一人勝手に苦しむ。

だが、その苦しみは必要ない。
本来悩むべきは、「自分にとっての幸せは何か?」である。

自分が生きたい方向を決めて、その方向に生きる勇気を持つ

活動的に生きたいなら、小さな事からでもいい、活動してみる。テンパってるのが苦しいなら、人に助けを求めてみる。そうやって違うパターンの自分をつくっていけば、もはや他人に自分を投影する必要はなくなる。
視界が開けて、あばたはあばたに見えるようになる。

その上で選んだ相手は、一緒にいるにふさわしい、生活に必要な価値観が一定の基準内に収まっている人だろう。

ないものを補おうとする行為は、心を依存的にする。自らがないものを作りだそうとすれば、心は自立する。
自立した者どうしだからこそ、互いが努力しあい、関係を強くするのではないだろうか。

人生は山あり谷あり。
山のときだけつきあって、谷のときは知らんぷりをする相手と一緒にいることは、間接的に自分を虐めてるのと同じ。

あなたは大切な人だ。幸せになるべき人だ。
幸せの階段を登るために、今いる場所が自分にとってふさわしいか、いまいちど目を凝らしてみてください。