精神的幸せとは何か

テレビで4人暮らし用アパートに子供9人親2人の計11人で住んでいる母親が言ってた。
「たくさん子供がいると『お母さん大好き』っていっぱい言ってもらえる。それが幸せ。」って。

タレントのDAIGOさんが結婚会見で「(妻の北川さんが)オレのギャグに大笑いしてくれる。そのおかげで自信が持てる。」といってた。


ここから、幸せはけして経済力や地位などではなく、自分がいかに受け入れられ・愛されていると感じられるかにかかっていることがわかる。
肉体的幸せは、衣食住が足り、極端な重労働からは解放されることで感じられるが、精神的幸せは、お金では買えない、相手に強制することもできない、いってみれば自分の手の離れたところにあるものだと言える。

もし精神的幸せを手に入れたければ、自分が周りを幸せにして、それが廻り廻って戻ってくるという、規模の広い幸せを望むことだ。
それには、自分に他者を受け入れるだけの広い器が求められる。

つまり、だれでも平等に精神的幸せを手にできるということはないのだ。

SNSが発達した理由に、この精神的幸せを求める時代にシフトしたことが挙げられる。
では、どうやって人々が精神的幸せを手にしているかと言えば、何を買った・誰ちゃんと一緒に出掛けた・こんなものを食べた・仲間内と盛り上がったという情報をアップして、「いいね」という承認ボタンを押してもらっているのである。

ちなみに承認ボタンで得られる幸せは大して長続きしない。
それどころか、次も、また次も、と依存的状況を生み出しやすい。
どっぷりはまって、気づいたときには、引っ込みのつかない見せかけの幸せをどれだけ持っていても、人生のつらい時期に支えになってくれることはないだろう。

光の速さで情報を伝達する時代にぴったりの、瞬足の満足。
そんなのほしいですか?

受け入れられることを目標にする人は一生受け入れられることはないと思う。
自分が相手を受け入れる側に回って、知らず知らず周りが自分を受け入れてくれてたというのが正解に近いのだろう。

ならば、今目の前にいる相手にあなたはどういう態度を取りますか?
そんな身近なことから、幸せな未来の糸口が開くのだと思います。