何気なく口にしてしまう質問。
「今どうしてるの?」
「○○(友達)って元気?」
「そういや~、△ってどうなった?」
その質問がよもや相手を突き刺す凶器となりうることなど、質問する側は思うまい。
でも、実際人は質問に傷つけられている。
答えられるとき、と答えられないとき
たとえば
「あれって、××だよね」
という知識を問うのなら、知ってようがいまいが答えられる。
それが
「今どうしてるの?」
という状態を問うと、好ましい状況ならすんなり答えられるが、後ろめたい状況ならごまかしたい気持ちに駆られる。
人生はいつも日向を堂々と歩けるわけじゃなく、時に日陰を、ときにどぶの中を歩かなければならない。
そんなとき、質問という釣り糸で、隠したいそれをあからさまにつり上げられたくはない。
そっとしておいて欲しい気持ちを潰す、そんな質問だってある。
のぞき見趣味
ーただ知りたいー
ーただ確認したいー
そういう質問者のスケベエな心が作り出す質問は、エゴの塊だ。相手のことなど観てはいない。
だから聞かれた方は、少し嫌な気分になる。
意識はしないけれど、「どうせ、比較に使うんでしょ?安心材料にするんでしょ?」と思っている。
答えたくない。
なのにぐいぐいとくる。
そのスケベエに精気をぐんぐん吸い取られ、ぐったりとしてしまう。
人ののぞき見趣味な心を満たすためだけに利用される、そんな質問だってある。
背景によって意味が変わる
同じ「子どもつくらないの?」でも、結婚直後のカップルに言うのと、結婚数年目に言うのでは意味が違う。
心になんの曇りもない人が質問を受けても、なんとも思わない。
ところが腹に思うとこがあって質問を受けると、ウッて来る。世の中で唯一無二の解「結婚したら子どもをつくるのが正義!」という斧を振りかざされる気がするのだ。
多様性を認めない社会において、アウトローな道を歩む人/歩まざるを得ない人は、いつもこの危険に晒され、痛手を負う。
背景によっては人を痛めつける、そんな可能性を秘めた質問だってある。
質問のもたらす恐ろしさ
このように、答えづらい質問、のぞき見趣味な質問、背景によって意味の変わる質問、が柔らかな心をグサグサと刺す。
さらに、刺してる方は、刺してることでさえ気づかない。
このことが、人が人を遠ざける理由であり、人嫌いを誘発する理由でもある。
そして本当に怖いのは、こういう質問に傷ついた人が孤立し、心豊かになれないこと。
このままでは益々人々は殻に閉じこもり、人と接することができなくなっていくだろう。