心に秘めるよりSNSで拡散することが大切なのか

一生の思い出になりそうな瞬間。
あなたはそれを心に閉じ込めて自分だけのものにしますか?
それとも他人と共有して喜びを分かち合いますか?

ということを考えさせられる一コマがネットに上がっていました。

女優さんが旦那さんに誕生日を祝ってもらった、とSNSにアップしました。女優さんのファンは、好意的なコメントを送り、評判は上々なようです。
それ自体は、微笑ましいことなのですが、私にはひっかかるものがあります。

それは、自分たちだけの思い出にするより、周りの人と分かち合う方がいいのか? ということ。
良いことなのだから、分かち合えば、みんなHappyという考えも分かります。
けれど、自分の中に留めておいて、「私たちだけの記憶」にしておく方が思い出の価値が上がる気がするのです。

と同時に、女優さんがやってるんだから、と一般人もマネをして、世の中が分かちあい合戦になるんじゃないか、というかもうなってるよ、ということにも、ひっかかりを感じます。
というのも、幸せアピールが世に溢れると、不幸せゾーンの住人が墜ちていくからです。

SNS疲れと言われるように、目の前にHappyニュースが流れると、人は勝手に疲れてしまいます。とくに自分が不幸せだと思っていると、疲れ方が酷い。それは誰しもが経験したことがある気持ちが落ち込んでいるとき(たとえば失恋)に友達の幸せ(婚約)を喜べないという感覚に近いものがあります。
他人の幸せニュースだって、受け取る側のコンディションによって、負担になることもありえるのです。

ですから、見たい人が見ればいいじゃん!と開き直って、SNSに流すのはちょっと乱暴な気がします。

映画タイタニックの最後に、おばあちゃんになったローズがサファイアのネックレスを海に投げ入れます。それは愛しいジャックとの別れであり、過去の自分との訣別であったと思います。あのシーンが感動的なのは、誰にも見守られず彼女が独り、海と対面してサヨナラを言えたからではないでしょうか。
それがSNSでアップされていたら、興ざめです。

人生の大切なときにSNSは必要でしょうか。自分をプロデュースし、飾ることも大切です。
でも、心動かされる一コマを心のしまうことの方がもっと大切です。

私たち一人一人は、生きている間に様々な経験を積み、すばらしい思い出を手にします。それはあなただけのもの。宝物は自分の心の中に大切にしまっておいてほしい。
そう願ってしまうのは、私が年をとったせいでしょうか。