湯を沸かしながら、「まだ沸騰しないんだ~」と思っている自分に気がつきました。
年々、待てないことが増えた気がします。
年のせいでしょうか?
と思っていたら、「すぐ既読にさせられるLINEの裏技」というコラムが目に飛び込んできました。
私は沸騰が待てないけど、みなさんはLINEを読まれるまでの時間が待てないんでしょうか。
通信インフラが発達し、手紙から電話、そしてメール、LINEやSNSと伝えるための時間は圧倒的に短縮されました。それはそれでよかったと思います。
ですが一方で「待つ」ことへの耐性が下がったようにも思えます。
恋文を送っていた頃は、手紙が届く間も愛を育む大切な時間でした。生活のここかしこに余白があって、それをどう埋めるかが想像力を鍛えました。
ところが現代。さっと送って、すっと受け取る。余白なんてコンマ何秒もない世界になりました。
すると、どうでしょう?人々は「待たされる」ことにいらだちを感じ始めました。
「あの人はメッセージを読んでもくれない」という思いが怒りや悲しみへと変貌を遂げ、しまいには苦しいとまでなってしまっている。
そうなってくると、人々は答えを内に求めるのではなく、外に求めるようになっていきます。そんな中、期待に応えたのは、「いかにメッセージを読ませるか」というハウツー。
手っ取り早く、自分の思い通りに相手に「読ませ」る方法。
皆、これに飛びつきました。でも恐ろしいことです。悪意がないまま相手を思い通りにする力(支配力)を高めたいと言ってるに等しいから。
言葉がすぐ届いて便利♪って喜んでいたら、知らない間に支配欲の強い傲慢な人間になってたって…。
そして中には「思い通りにならないことは全部燃やしてしまえ」くらいの性格を持つ人がでてくることも十分考えられます。
事実、他人を支配下に置いて命まで奪う事件が何件も起きています。そこにいかないまでも、キレやすい人が多く出てきたり、混雑時の諍いが勃発したりと、あきらかに忍耐力が低下しています。
たしかに思い通りにならないとき、ストレスは溜まりっぱなしです。はやくそれを解放して、楽になりたい。
その気持ちは分からなくもありません。
ですが、そこで立ち止まることも、また意味があるのです。待つことによって余白を作り、「で、相手はどう考えているんだろう?」と相手のことを考えてみる、というのは長い目で見るといい結果を生むことが多い。急がば回れです。
全部をパツパツに埋めてしまうと、やることだけにやっきになって肝心の人の心を取りこぼしてしまいます。そして置き去りにされた心は、かならず反発してきます。そこでさらに支配力を高めようとすると、相手は興ざめして離れていってしまうでしょう。
だからお湯は沸騰するまで待つ。妙なテクニックを使って返事を急かしたりしない。
丁寧に「待つ」という行為に身をゆだねることが、この便利な時代にはあえて必要なんことなんだと思います。