君は独りなんかじゃないという慰めなんかより…

いっそ、独りだよって言われた方がスッキリする。

だって私を分かってくれる人には出会えないし、独身で帰省しなかったら、X'masも正月も誰とも話さず独りだよ。ネットの世界の誰かを求めたって、その場しのぎのつながり。誰かが本気で心配してくれたり、気遣ってくれるわけじゃない。

下手に「独りじゃない」という慰めを受けると、よけい独りぽっちに思えてくる。


でもね、世の中には独りじゃなさそうな人もいる。友人や家族に囲まれて、ひとたびその人が現れるとみんなが駆け寄ってくる。

何が違うの、私と。

あの人には出来て、私には出来ない、人の輪。

あの人が何もかも持っているから? あの人が選ばれし者だから?

そんな思いがグルグルと回る。


でも、よ~く見てごらん、あの人を。

あの人はひと言も自分のことを話してない。

出る言葉、出る言葉みんな、誰かの答えだよ。

「~さん久しぶり」に対して「いや、本当に久しぶりだな。なんだかずいぶんと○○になったじゃないか」。
たわいないこのやりとりでさえ、裏では、「~さん、ボクを見て」「なんだ、なんだ、ヨシヨシ。確かに○○だよな」という受け答えをしている。

会話の本髄を見抜けない人にとってはただの挨拶も、実は心の受け答え。それが上手い人のところに、人は集まる。


そう、人は自分にちゃんと向いてくれるところへと集まっていく。

だから独りを抜けたければ、受け答えできる技を身につけよう。相手に「あなただったら聞いてくれる」と思わせられる受け答えを確立してみよう。

みんな、あの人に集まっているように見えて、あの人の答えに「自分を受け止められた」という感覚を見い出したがってるんだ。

あの人が特別な人だからなんかじゃない。

片時もサボらず人に向き合う努力をしているからなんだよ。
白鳥と一緒で、見えない水面下でいっぱい努力を重ねてる。