褒めると認めるの違い

いっとき、子供は褒めて伸ばしましょう、という教育がはやったが、しばらくすると、褒めるのは良くないという風潮が出てきた。

あるときは、「褒めろ!」、あるときは「褒めるな!」いったいどうすりゃいいの?

褒めるってどういうときに使うか、考えたことあるだろうか。

たいがい、結果に対していってる。
・100点をとれて、偉いね
・○○大学入って、すごいね
・発表会で賞もらったんだって

大変貴重な結果をその子が手にしたとき、周りは感嘆の声を上げる。
だが、それは当の子供にとってどう写るだろう。

結果なんてなんともしようもない。褒められたところで、次回もそれを求められるとしたら、無理だよね、むしろ次に失敗したらめちゃ怒られそうだから、チャレンジは今回だけにしよう、ってなるかもしれない。

褒めたつもりが、子供を萎縮させてしまっている。

ではこういうとき、どうしたら子供が「あっ、やってよかったな!」と思うだろうか。

それは手の出しようがある範囲を認めること。

いい結果を出すには、かならずその裏に苦しみがある。それは、ときに不安だったり、ときに何か(遊ぶ時間とか)を犠牲にする心だったり。それを乗り越えて、結果を掴んでいる。乗り越える苦しさを誰かに認められると、子供は「あの苦しみは意味があったんだ!」と解る。そして、再度苦しみに立ち向かえば、もっと良い結果を手にできるのではないか、という思いが生まれる。

それが未来を切り開く原動力となる。自主性や主体性を育んでくれる。

だからもし、子供に伸びてほしいと願うなら、子供がたどってきた苦しみの世界を想像してみることだ。その苦しみに敬意を払ってみることだ。

結果がすごいということは、大人の私たちでもとうていたどり着くことの出来ない境地を彼らが開拓したということ。そのことに大人・子供の境界を越えて、「恐れ入った」という感情は持てると思う。