幸せのおすそ分けにイラッとした気持ちを静める方法

結婚式に出席して、幸せのおすそ分けと称した催し物(主にブーケトス・プルズ)に参加されられたことありませんか。そのときイラッとしませんでしたか。
独身者をさらし者にしてないか!と。

幸せの基準は人それぞれです。結婚を幸せと思う人もいれば、独身を幸せと思う人もいる。身近に花があることを幸せに思う人もいれば、人工物を飾る方が幸せという人も。相手の「幸せ」をピタリと当てるのは難しく、当てずっぽうでは押しつけになります。

だからこそ、安易に「【幸せ】のおすそ分け」なんて口にしてはいけないのだと思います。

そもそも幸せって絶対量がありません。有限だからこそ、分けられるのであって、無限のものは分けようがない。減らないんだし、わざわざ分けるなんて言う必要はありません。

もし分けるなんていうのなら、手元にある量を減らす。大福を10個持っているなら、3個ご近所におすそ分けする。そしたら、確実に自分の取り分は減るので、きちんとおすそ分けになります。けれど数がへった分、ご近所さんに大福を食べる喜びを味わってもらえる。だから結局数は減って喜びは増えて、トータル同じかもしれませんね。

分ける行為は仏教でいうところの「喜捨」です。ふだんの自分なら手放して惜しいなというものを、そのときな十分な量確保できたから、喜んで手放しますよ。それが「喜捨」。
では結婚式における喜捨とはなんでしょうか。花嫁はそこまで花束を手放したくないと思っているのでしょうか。むしろ、あってもしょうがいないし持って帰ってくれ、だと思います。つまりお役御免品の処分。独身者に喜びを味わってもらえるとこなんて、1mmもありません。

花嫁は高みの見物気分でしょう。「独身の哀れな者たちよ、我が采配によって君らのうち幸せになれそうな者をくじ引きで決めてあげましょう」とまさに性悪の王女様。

その傲慢たる姿と、お役御免品の押しつけを前に、イラだちは最高潮に達します。

相手の心に配慮しない振る舞いは、単なるおごりか自己満足。それも分からないまま、「幸せのおすそ分けね」なんて善人面していたら、いずれ家庭も崩壊することでしょう。夫や子供に要らぬ世話を焼き、感謝されないと憤るのは目に見えていますから。
結局、来客を幸せにできない人は、新しくそばにいてくれる家族をも幸せにできない。そう遠くない将来、不仲な家族ができあがるでしょう。

ということで、あの人もきちんと自身の責任を取らされます。それに免じて、イライラを解放してあげてください。