「あなたのために」と「あなたのせいで」の共通点

言われて嬉しくない言葉に、「あなたのために」と「あなたのせいで」がある。
言われると、心の中にどよ~んとしたものが流れ込み、なんだかなぁ…というもやもやとした気持ちが芽生える。

そして「私はそうは思ってないのに」というなんとも言えずもやもやした気持ちになる。
一体なぜ、こんな気持ちに囚われるのだろうか?

「あなたのために」と言われて抱く気持ち

「あなたのために」と言われると、どんな気持ちになるだろう。
有り難いと思うのか? それとも迷惑だと思うのか?

意識の上で「有り難い」心の中で「う~ん」じゃないだろうか。
黙ってやってくれるならまだしも、「あなたのために」という大義をつけられると、反射的に「そんなこと望んでないんだけど」という思いもわいてくる。

こっちがやって欲しい気持ちがあってやってくれたなら、喜んで受け取れるものも、気持ちがなく、一方的に決めつけ与えられると、押し売りみたいに感じるのだ。

つまりどんなに優れたものでも、もらう側に「欲しい気」がなければ、本人の意を無視した暴走である。

「あなたのせいで」と言われて抱く気持ち

「あなたのせいで」と言われると、どんな気持ちになるだろう。
申し訳なかったと思うのか? それともそっちが勝手に言ってるだけ!と思うのか?

ほとんどの人は表面上「申し訳なかった」ふりをして、心の中では「えっ?何言ってんの?」じゃないだろうか。
責任を取らなくてはいけないという思いが固まる前に、「あなたのせい」と言われると、反射的に「オマエに決める権利はない!」という反発をしたくなる。

気持ちが固まった上での批判なら、おっしゃるとおりと受け入れられるものも、気持ちがあいまいな段階で、一方的にこちらが悪いと決めつけられると、無理にねじ伏せられたように感じるのだ。

つまりどんな正論であったとしても、本人の気持ちが固まっていなければ、本人の意を潰す暴挙に見える。

2つの共通点とそれらのかわし方

[本人の意を無視した暴走] と[本人の意を潰す暴挙] に共通する点は、ズバリ「本人不在」である。

本人の意向を無視して、時に恩を売り、時になすりつけする。この行為にどんな利点がありえようか。
元はと言えば、発言者が「感謝して欲しい」「責任を取って欲しい」という思いから発したのだろう。しかし、本人不在のままやると、当然ながら反発を招く。これでは発言者の要求が達成されず、被発言者には反発心が芽生え、誰も得しない。

ということは、使い古されたこの2つの言葉は発するだけ無駄。なのに未だもって存在するのは、別の利点があるからだ。

その利点が「自尊心の保全」

発言者は、相手の事を語っていれば、もろい自尊心を傷つけられることはない。相手のことを話題にしているので、反論されようともこちらにまで被害が及ばないことをよくよく理解しているのだ。さらに策略が上手くいけば、感謝されることによって自尊心が高められ、責任を負わせることで自尊心が守られる。

「傷つけられず、自尊心は高められる」一粒で二度美味しいやり方。だから発言者は、これらの言葉を手放さない。これを理解するならば、「あなたのために」と「あなたのせいで」を使う人の言葉にはまともに取り合わないのが賢明だとお分かりいただけるだろう。

最後にまとめると、「あなたのために」と「あなたのせいで」の共通点は、「本人不在」と「発言者の自尊心の保全」。言われた方には何のメリットもない。華麗にスルーするが吉。