「洋服屋の声掛けいらない」の真意とは?

滝沢カレンちゃんがTV番組中に、洋服屋で買い物中に声を掛ける店員の気づかいは「いらない」と言った件。要するにこういうことなんじゃないだろうか。


洋服を好きに選ばせて!


誰のためのショッピング?

洋服屋に入るのは、洋服を見たいからであって、けして店員さんに仕事をさせたいから、ではない。しかし目的をはき違えた店員は、仕事をするために客を使う。

「何色がお好みですか?」と尋ねるのは、客が何色が好みか聞いて欲しそうだからではなく、店員が客の好みを把握し売上げにつなげたいからである。もっと言えば、客を放っておいたら、接客しなかったと思われるのが怖いからである。

つまり客のためのショッピングではなく、店員のためのショッピングになっている。
だから店員のために使われることが気持ち悪くて、きづかいは「いらない」という発言につながっている。

接客の意味

接客とは、客がやりたがっていることをなるべく叶えてやること。従って、客が「単に見てみたいな~」と思っているのであれば、心行くまで見せてあげればいい。また客が「今日は絶対買おう!」と思っているのであれば、それを叶えるために力を貸してやればいい。

主役である客がのびのびと過ごせる場を提供するのが本質であって、声を掛けたり、服をたたんだり、会計をしたりするのは、枝葉。主役が満足した先に、枝葉の行動が活きてくる。

従って、主役の気持ちを削ぐ行いは、たとえ仕事してないと後ろ指さされようとも控えるべきだ。自分がどう言われようとも相手のどうありたいかを優先できる人ほど、本当の意味でお客様想いである。

「好きに」できることの価値

洋服を「好きに」選べることに、幾らの価値があるだろうか。

洋服の原価、梱包材にお金が払われていることは誰でも想像がつくが、「好きに」選べることにお金が払われると意識する人は少ない。しかしながら、自分が客になったときは、「あの店の感じがいい」などと雰囲気込みでショッピングをしているではないか。

「感じ」の中に、気持ちのいい接客も含まれる。
嫌なことがあって潰れてしまった気持ちが、気持ちのいい接客でふっくら戻せたとしたら、それも込みで御代として支払ってもらえる。お金は感謝の気持ちの現れでもある。

昨今、ネットショッピングが趨勢を極めるのは、単に利便性だけではないのかもしれない。お店に行って店員のために使われるのに疲れた人々が、ネットの中のそれこそ「好きに」買い物できる空間に逃げ込んできたとも考えられる。

Amazonの欲しいものリストは、何ヶ月経っても、「○○はまだ買ってません」といって、迫ったりはしない。結果として、私の好きなタイミングで注文できる。それもまた、客にとってはのびのびと買い物を出来る利点である。

衣料品の売れ行きが伸び悩む中、なにが顧客にとって「好きに」買い物を出来る手段か、賢い人はすでに考え動き出している。ならば現場も、もうそろそろ店員のための接客ではなく、客のための接客にシフトすべきではないか。そうでなくても、AIに取って代わられる危機に瀕しているのだから。