解離性障害と自律神経失調症の克服にチャレンジ

10年以上前に診断された解離性障害。これといった特効薬もなく今日まで来た。そして最近とみによく出てくる呼吸器の乱れ。おそらく自律神経失調症だ。これらをまとめて、なんとかしようという試みを始めてみようと思う。

薬に頼らず認知の訂正でどこまでいけるかチャレンジだ!

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病歴の振り返り

まず解離性障害について、自身の病歴を振り返ると、おそらく3歳のころピアノの練習を嫌々やっていたら、ぶちのめされたことが最初ではないかと思う。そのときは、とにかく「やれ、やれ」と追い詰められることが嫌で、加えて暴力をふるわれたので、自分の中の何かがプチンと切れて、重病人のふりをした。

そうやって我が身を護ることでなんとか困難を切り抜けた経験がある。

この「病弱なふりを装う」という方法を身につけた私は、それからうん十年経って、あのときの手法を無意識に使って自分の身体をシャットダウンするという暴挙に出た。そうすれば、周りが構ってくれるし、仕事から解放される。そしてなによりプレッシャーから逃れられるメリットが大きい。

幼い頃に身につけた防御の方法が、長い月日を経てこんな形で表れるとは思ってもいなかった。

解離の理由

幼きあのとき、私が思っていたことはただ一つ「逃れたい」。まだ子供の私には、真っ向から大人に刃向かう術をもたなかった。力のない自分が闘うとしたら、なにか。それが身体と心を分離する「解離」だったのである。心を一番安全なところへ引っ込めて、抜け殻となった身体をぽーい、とその場に置き去りにすることで、なんとか精神崩壊を免れた。

でももしあのとき私が自分を支える強い心をもっていて、「『やれ、やれ』と追い立てる大人が間違っている!」と自分の考えを後押し出来ていたなら、大人相手にこてんぱんにやっつけようともがき「解離」は起きなかっただろう。従って「解離」した元々の理由は、自分を支える自分の不在にあったと考えられる。

ー自分を支える自分の不在ー
これは実に根深い問題で、人生の最初に出会う親が、思い通りにいかない子育てを全部子供のせいにしてしまうと、子供は自分が悪いと思ってしまって、自分を支えられない人格が形成される。

いつも自分は間違っているのではないか、自分は邪魔な存在じゃないか、と我が身を疑うクセが根付き、自信のない子になってしまう。それが社会への扉を閉ざし、打たれ弱く、チャレンジを嫌がる子へと誘(いざな)う。不登校の子はまさにその典型と言えよう。

自分が自分を支えなかったら、いったい誰が支えるのか。
この問いに対する答えは、冷酷なようだが「誰もいない」だ。ある意味、自分が自分を支えられなければ、誰にも支えられる経験なしに生涯を終える。要は寂しいまま。

この厳しさに立ち向かうために、私の出来ることって何だろう。それがこのチャレンジである。

解決方法はみんな知らない

いままで数々のカウンセリングを受けてきて、「自分を好きになりましょう」ほど、役に立たなかった言葉はない。何十年も自分を支える自分の不在と闘ってきて、そんなあっけらかんと好きになれるわけなどないのだ。

自分を嫌いは連続投下出来ても、自分を好きは投下ボタンの位置さえ分からない。そんな困難極まりないことをノーガイドでやってみ、とはどんな無理難題なのか。

おそらくそうアドバイスしてきたカウンセラー本人も、自分を支える自分の不在をクリアできていない一人なのだ。だから教科書で読んだそれっぽいことを言って、取り繕うとしているだけ。だれもその解決方法をしらない。

つまりこれは誰に尋ねたところで、「はい、こうしましょうね」と簡単に解決できるものではなく、いくつかのヒントをかき集めて帰納していくしかないのである。

そしてラッキーなことに、私はそういう能力に秀でているらしい。なので自分相手にそれをやってみたらどうなるのか、見てみようと思うのだ。

具体的にすること

きっと最初はめちゃくちゃ簡単なことからだ。「お前は邪魔な存在だ」などといった否定の声を消すために、「お腹空いてない?なにか食べるか。」と自分に問うことから。そうやって身体の一つ一つと話しながら、私は私という感覚を強めていく。

次に「『正しいことをしよう』としない」ようにする。要するに正解を求めない。たとえば、Aという選択肢とBという選択肢があったとして、客観的にみたらBの方が優れた選択肢だったとしても、気分でAを選んだなら、それでいいんだよ、と自身に声を掛ける。失敗したらどうしよう、といったことは考えない。なにより大事なのは、そのとき自分がAにしようと思ったこと、そのものだ。

私達は正しくあろうとして周りの目を気にしすぎている。頭はシングルタスクしか処理できないので、周りの目の評価を考えてるうちは、自分の考えに目が向かない。(ワイドショーとか見たら分かるように)周りの目はいつなんどき膨れあがるか分からないので、恐怖が恐怖を読んでパニックになりがち。

その点、自分に考えが向いていれば、自分以外誰も介入できないので、考えがシンプルにまとまる。自分の中の答えは一つだから、迷わずいられる。そのはっきりとした道筋が心を落ち着かせ、自分の確からしさを増やしてくれる。

それを繰り返せば、自分を支える自分の不在とは一定の距離を保てるのではないかと思えるのだ。

この病の克服に必要な事

なぜそんなに周りの目を気にする?なぜそんなに正しくあろうとする?その答えは「それでいいんだよ」という声を自分に掛けられないからだ。私がいいと思うものはいい、それでいいじゃないか。追い詰めて追い詰めて、誰の目にも正しく映る自分であろうとするのは、万人に認められる神になろうとしているようなものなんだから。

そんなの目指してたら神経症を発症したって仕方ない。

自分にプレッシャーをかけないことは、この病に対しては最重要なことに思える。「好きにやっていいんだよ。どんな結論でもあなたのこと大好きだからね。」そういって自分をぎゅーっと抱きしめてくれる自分を心の中に作れるかどうかが、病の克服の鍵となる。

私は、症状が一気に消えて欲しいとは思わないが、自分を支持する自分を創り、滞在時間を増やすことで、徐々に自分を痛めつける言葉の表れる時間を短くしていって、いつのまにか消えていた、という形が望んでいる。

ほんの数年前まで、自分をどやす言葉が幻聴となってしょっちゅう聞こえてきた。「お前なんかいらねぇ」「死んじまえ」
いま思うとなかなかキョーレツな言葉だ。そんなこと言われて育ったんだろうか。

記憶にある家族の風景はそんなに殺伐としたものではなかったのに、幻聴は罵詈雑言だらけ。私が都合良く記憶から消し去っているのだろうか。だとしたら、「解離」により記憶も操られていたことになる。

「解離」は我が身を護る最終手段だ。もし私と同じく解離に悩んでいるとすれば、それはあなたが頑張ってなんとか生き抜いてきた証拠。死にたくなる日もあるかもしれないけど、なんとか踏ん張って、正しくなくてもいいと思える時が来るまで自分と向き合って欲しい。