優柔不断なオトコとつきあうのにいる覚悟

みなさんの夫や彼氏は決断できる人ですか?

半分、いやそれ以上の男性は、決断できない、いわゆる優柔不断な人だと思います。そして、その優柔不断さをヨシといする女性は少ない…。
やはり男性にはオトコらしさ、頼りがいを求めたいところです。

でもなぜ優柔不断な男性は避けられるのでしょう?
暴力を振るうでもなし、お金を出し惜しみされるでもなし、言うことを聞き入れてくれ、滅多なことでは怒らない、そんな温和な人なのに、なぜか恋愛や結婚に踏み切れない。

実はそこには、人生における大切な学びの欠落があったのです。

優柔不断さはどこで身についた?

生まれた瞬間から優柔不断な人はいません。

お腹が空いたとき”泣いたら親に嫌がられるかな”、と泣くのを抑える赤ちゃんや、おしめが湿っているのに無理矢理笑顔でやり過ごそうとする赤ちゃん、見たことありますか?

ありませんよね。
どんな赤ちゃんも生き延びるために、必死で声をあげます。

それが少し成長して周りが見えてくると、投げ掛けられる言葉によって態度が変わってきます。
「○○できたの!頑張ったわね」と言われた幼児は、【なにかをやる】ことに楽しみを見いだし、「○○しちゃダメでしょ!まわりに迷惑がかかるわ。」と言われた子は、【なにかをやらないこと】に意味を見いだし始めます。

これが一年、二年と積み重なり、性格を作り上げます。
【なにかやること】を楽しいと思った子どもは、自分で何かを見つけて取り組もうとする一方、【なにかをやらないこと】に意味を見いだした子どもは、誰かに指示されたことをこなそうとします。

となれば必然的に、前者は自分の意見を持ち、後者は周りの意見に合わせるようになるでしょう。そしていわずもがな後者こそが優柔不断な人です。

優柔不断さは、生まれ持った性格ではなく、躾より身についた結果なんです。

親のやり残しの結果が優柔不断な性格

ですから、本人のせいではありません。むしろ本人はとても従順な性格です。人と衝突を起こさないという意味では、利点に働くでしょう。

でも利点として得られるものより、欠点としてのクリティカルさが目を引きます。
なぜならシナリオ通りにいかない人生を歩む中で訪れる数々のピンチ。それをどう立て直すのか迫られる瞬間。もしかしたら決断が生死を分けるかもしれない。そんなとき、何も決められない・・・のを受容できる女性など一人もいないからです。

優柔不断な子を持つ親は、本来我が子が生き延びるために、見通しのつかない将来を自らの手で切り開けるようサバイバル能力を身につけさせるところ、親自身が、子どもが【なにかやること】、を見守ってて事故でも起きてしまったら…、という恐怖に耐えきれず、安心できる範囲で遊ばせて、自らを恐怖から遠ざけるのを優先してしまった。結果として、親が本来の躾を放棄した結果、指示待ち族の優柔不断な彼の出来上がり、ということになります。

つまり「優柔不断な彼と付き合うか?」という命題は、「全く他人の、どこぞやの親がやり残した躾という教育を引き継ぎ、彼を育て治す覚悟があるか?」という意味に置き換えられ、大概の女性は、”そんなの知らんがな”と思うので、お付き合いを断るんです。

仮に無理にお付き合いを承諾したとして、やはり男性が自らの力で【なにかやること】ができない、という核心的問題から逃れられることはできず、どうやったところで二人は苦しむことになるでしょう。
それは自分一人分しか背負うことのできない中で、相手の分まで支え続けていくことが出来ないからです。一人一人がしっかりと地に足をつけて自分を支えていられるからこそ、互いが力を貸し借りできるのであって、自分で立つ気もない相手には、力を貸そうとする前にこっちがあちらの重みで潰されてしまいます。

ただもし、どうしても彼じゃなきゃ、と思うなら、人を育てることに本気で取り組みましょう。根っからの優柔不断な人間などおらず、自尊心や自己決定を支えてくれる存在の欠如が、優柔不断さを呼び込んでるだけですから。
優柔不断さを立て直すべく、女性側がしっかりと「人を育てる方法」を学んでみることを勧めます。

「人を育てる方法」を学ぶには、恋愛本もいいけどこちらの方がオススメです。

自分の頭で考えて動く部下の育て方 上司1年生の教科書

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