印象は何のために存在するのか

あの人は責任感があって立派だ、あの人は自分のことばかり考えていてずる賢い人だ。
我々は会う人ごとに、さまざまな印象を持つ。

ではその印象、どんな役目を担っているのだろうか。

ある人の印象が定まった経緯

Aさんは私の中であまり印象が良くない。
それは以下のような出来事があったから。

  • 自分が積極に関わるべき(我が子の命を守るため)のことに、なぜか「お手伝いします」スタンスを示した
  • 集合の4分前にパソコンでしか見ることの出来ない掲示板に欠席します、と書いてきた
  • 自分の都合ばかりを並べ立てて、責任を放棄しつづけている

とくに2番目の4分前の欠席告知に対し、Aさんは自己中心的という印象を強く持った。

印象を良くするにはどうすればよかった?

印象を悪くした3つのことはちょっと気を回せば、いくらでも改善できる。

  • 「お手伝いします」ではなく「やれることをやっていきます!」と言えば、自分の子どもと地域のために頑張ろうとしているんだなと感じてもらえる。
  • 会合に行けないなら、それが分かった時点で欠席の旨を申し出れば、みんなも納得する
  • 自分の都合はなるべく口にせず、どうしてもというときだけ配慮してもらって、代わりにみんながやらないことを引き受けるなら周りもしぶしぶ了承する

やる気と自主性を見せると印象は良くなる。反対に逃げ腰で責任をなすりつけようとすると印象は悪くなる。
やはり主体的であるか、ないか、が印象の善し悪しに影響する。

印象の役割

おそらく主体性のない態度が印象を悪くするのは、我々が主体性のない人は組織にとってお荷物になると無意識ながら思っているから。全員がやるべき仕事を遂行してこそ、組織が保てる。一つでもまともに機能しなければ、そのしわよせがどこかに行き、徐々に機能が低下して、また別のところにしわよせが行き…、が繰り返され、最終的に崩壊へと向かう。

それを未然に防ぐため、主体性のない人を感じとるセンサーが備わっているのではないだろうか。

私たちは個である前に人間である。人間としての存続が危ぶまれることに対しては、嫌悪を持つように作られてたとしても不思議ではない。
なるほど、そのために「印象というセンサー」が搭載されているんだ。