恋と愛って似ているようで、違います。
恋というと、胸が高鳴るようなドキドキした気持ち。愛はというと、優しく包み込むような穏やかな気持ち。
年を重ねると、パートナーに対して恋する気持ちより愛する気持ちの方が強まっていきます。愛は恋の発展型なのでしょうか?
恋の生まれる過程
恋はいつ起きるか分かりません。
突然ど真ん中のタイプの人が現れて、心を射貫かれるかもしれないし、
たまたま肩のぶつかってしまった人が、とても丁寧に謝ってきてくれて、その紳士っぷりにメロメロになるかもしれない。
はたまた会社でチームを組んでた仲間が、ピンチに陥った私を絶妙な手合いで助けてくれて、その頼もしさにコロっといくかもしれない。
偶発的で、降って湧いたように、恋は生まれます。
愛の生まれる過程
では、愛はどうでしょう?
これは雷に打たれたように、急に発生することはありません。ゆっくりじわじわと湧いてくる。
出産して、母親になって、我が子への愛おしさが日に日に増していく、とか
苦楽をともにしたパートナーと還暦のお祝いを迎えたときに、しみじみと感じる、とか。
ある程度の期間を経て育っていくのが愛です。
時間以外の違いって?
急に起こるか、じわじわ起きるか。それが恋と愛の違いでしょうか。
それもあるでしょう。でもそれだけではありません。
急に起きる恋は、「偶発」即ち自分で手の加えようのないものなので、私自身は「受け身」です。
じわじわ起きる愛は、自らの手で育んでいく必要があるので、私自身「主体的」であることを求められます。
恋と愛では、自分の立ち位置が反対なのです。
これこそが最大の違いではないでしょうか。
恋は手に入っても愛は手に入らないかも?
ですから、「主体性」を求められる「愛」は、誰しもが手に出来るのではなく、人生に主体的であろうとし続けている人だけが手に出来るメダルです。
そう、メダルを上げてもおかしくないくらい「愛」を持ち続けることは、難しいです。時に思い通りにならない相手を憎み、時に周りに受け入れられない自分に絶望しながらも、けして相手への信頼を手放さない。そういう覚悟があって初めて、「愛」はそこにあり続けることができる。
「愛」には「恋」のような、「受け身」でいられるお気楽さはありません。
なぜなら、相手を信じ続けることは、怖いからです。いつか裏切るかもしれない、いつか私を捨ててどこかへいくかもしれない、という恐怖と向き合っていかなくちゃならない。
「恋愛」という言葉の示していること
でも、そういうハードルも備えているからこそ、愛だけが持つ強さも存在できる。
「愛」に必要とされる「覚悟」が真剣さとして伝わり、相手もその真剣さに伝染する。それが二人の絆を確たるものにしていくのです。
熱に浮かされて走っていればいいだけの「恋」と違って、腹をくくって相手を信じ続ける「愛」は、簡単にやれることではない。
だから、「恋愛」という言葉があるのかもしれません。
気楽に出来る「恋」が先で、大変な「愛」が後。楽できる「恋」の時期に、余った力を次の「愛」への準備につかいなさいね、という教えを示しているのです。
けして、「愛」が先で、「恋」が後ではないんですね。